- #1
- #2
セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
悪童ロマーリオが副議長、ミランの得点源は大統領、なぜ“日韓W杯トルコの英雄”は国会議員→米国に亡命?〈元サッカー選手政治家の明暗〉
posted2022/07/09 17:02
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Sports Graphic Number(L,R)/Getty Images
セリエAの元トッププレーヤーたちが引退後、政治家転向するケースは実は珍しくない。
最も出世したのは、西アフリカのリベリア共和国大統領になった元ミランFWジョージ・ウェア(55歳)だろう。
ウェア大統領とミランは今も相思相愛
95年のバロンドールを受賞した稀代のストライカーは、内戦やクーデターが続いた政情不安の国を立て直すべく、05年に最初の大統領選に挑んだが敗戦。以来、幾度かの挫折を経て17年末の選挙で本懐を遂げ、翌年1月から国家元首の座に就いている。
当選の際、現ミランTD(テクニカル・ディレクター)パオロ・マルディーニは「親愛なる友人ジョージ・ウェアよ、新大統領当選おめでとう。君が愛する母国の素晴らしいリーダーになるだろうと確信している」と祝辞を送り、ウェア大統領もまた、昨季ミランが11年ぶりのスクデットを獲得したときには祝辞を忘れなかった。
ミランOBの政治家としては、ロシアのウクライナ侵略で黒海情勢が気がかりなジョージア(旧国名グルジア)にも目を向ける必要がある。首都トビリシの現市長は、00年代の黄金時代に最終ラインを守ったDFカハ・カラーゼ(44歳)だからだ。
カラーゼは、ミランへ入団する前のディナモ・キエフ時代からウクライナの英雄FWアンドリー・シェフチェンコ(45歳)と親友だった。ともに旧ソ連時代を知る2人は、今から10年前に時を同じくして祖国の政界を目指した。
シェフチェンコは12年のウクライナ議会選挙に出馬し、あえなく落選。その後、母国代表チームやジェノアを率いてサッカー界に身を置いてはいるものの、祖国がロシア侵攻にさらされている今、祖国を救うべく政界再進出の機会を窺っている気がしてならない。
カラーゼは母国でエネルギー大臣や副首相も
一方、カラーゼも12年のジョージア議会選挙に出馬するため、当時13年まで残っていたジェノアとの契約を破棄、年俸120万ユーロを断念して現役を引退した。中道政党「ジョージアの夢」から出馬し見事当選すると、与党政権ではエネルギー大臣や副首相を務め上げた。
17年秋に出馬したトビリシ市長選に当選し、現在では首都の首長として北に国境を接するロシアの動向に目を光らせている。カラーゼの背負う責任は、ミランの最終ライン時代よりはるかに重い。