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《特別グラビア》“青学卒→グラドルデビュー”で勘当も…スターダム・白川未奈が語った両親への感謝「いつか試合を見に来てほしい」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/07/03 11:00
青山学院大学を卒業後、一般企業への就職、芸能活動を経て30歳でプロレスラーとなったスターダムの白川未奈。34歳の今もまだまだ夢の途中だ
「今は、月山和香を勝たせなきゃという思いがある。彼女、まだ未勝利なんです。チームとしては、勝てない月山を勝たせたい。もちろん私も強いレスラーじゃないですよ。勝率で言ったら決してよくないので。だから、試合で負ける悔しさはわかる。彼女も必死でやっているんです。やる気はすごくあるけれど、結果が出ていない。目の前の1勝もそうですけど、もっと本気で『トップを取りたい』と思わないと」
白川の話に熱がこもってきた。
「私だってトップを取りたいと思っている。中野たむもウナギ・サヤカもそう思っている。私は日本でも世界でも、絶対に『白川未奈』という名前を残すと決めてやっている。月山に必要なのも、やっぱり気持ちの強さじゃないですか」
「キラキラした生活」とは無縁だった青学生時代
教育熱心な家庭に育った白川は、芸能界からプロレスの道に進むまで、さまざまな経験をしている。青山学院大学卒業という学歴もしばしば注目されるが、実は「本命」ではなく滑り止めだったという。
「中学生から剣道を続けていたんですけど、ひとつのことしかできないタイプなので、高2からはもうずっと大学の受験勉強。不安なので、受ける大学の過去問は手に入る限り全部やりました。上智の外国語学部が第一志望だったんですけど、落ちちゃったんです。当時は『私が落ちるわけがない!』って泣きわめいて(笑)。でも浪人はせずに、青学の英米文学科に進みました」
白川は昨日のことのように大学での生活を振り返った。
「思っていたよりも勉強が大変でしたね。英語は得意だと自信を持っていたのに、入ってみたら帰国子女が7割で、オール英語の授業もあった。まさかの落ちこぼれです(笑)。しかも当時は2年まで淵野辺キャンパスなんです。朝6時半に家を出て、片道2時間かかりました。それでも一人暮らしは遊んじゃうからダメと親に言われて……。思い描いていた青山でのキラキラした生活はなかった」
当時から芸能界への憧れを抱いていた白川だったが、両親ははっきりと反対していた。
「反発もしたんですけど、大学まで行って就職しないのは親に申し訳ない、という真面目な部分が出てしまって(笑)。英語を使いたいからCAとブライダル系、それから稼ぐために商社も受けて……。でも航空会社は氷河期で、例年なら200人取る大手の採用人数も10分の1くらい。最終面接で落ちて、ブライダルの会社に入りました」