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《特別グラビア》“青学卒→グラドルデビュー”で勘当も…スターダム・白川未奈が語った両親への感謝「いつか試合を見に来てほしい」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2022/07/03 11:00

《特別グラビア》“青学卒→グラドルデビュー”で勘当も…スターダム・白川未奈が語った両親への感謝「いつか試合を見に来てほしい」<Number Web> photograph by Essei Hara

青山学院大学を卒業後、一般企業への就職、芸能活動を経て30歳でプロレスラーとなったスターダムの白川未奈。34歳の今もまだまだ夢の途中だ

 それでも、芸能界への夢を捨てきれなかった。24歳のとき、原宿でスカウトされた。

「竹下通りを何往復も歩いて、スカウトされに行ったんです(笑)。声をかけてくれたのがグラビアの事務所だったので、そこに飛び込みました。『ミスFLASH』のオーディションの選考が進んで雑誌に載るところまで行ったタイミングで、会社に辞意を伝えたんです。上司や同僚は背中を押してくれました」

 ただ、親には会社を辞めたことを言わなかった。言えなかった、と形容したほうが正確かもしれない。

「会社に行くふりをして、時間を潰すために毎日、漫画喫茶通い。でも1カ月でバレましたね(笑)。親はもう激怒です。『勘当だ。出て行け!』って」

プロレスラーを目指した矢先の母の病

 夢見ていた芸能界での日々は、想像以上にハードだった。仕事がなければ、アルバイトで糊口をしのぐしかない。それでも「レスラーが命を張って戦っている姿を見て、水着になることくらいで悩んでいる場合じゃないな、って」と大好きなプロレスに活力をもらった。明るいキャラクターを活かして幅広く活動していたが、30歳を前にして、自分自身がプロレスラーになるという新たな目標が芽生えた。

「29歳のときです。始めるには遅いけれど、やらないと私は満足しない。もっと歳を重ねたときに、『やっておけばよかった……』って後悔したくなかったんですよ」

 そこから、白川は本気でプロレスラーを目指した。

「でも、その年は大変だったんです。練習を始めたころ、母が緊急入院してしまって。病院にも毎日行かなきゃいけない。でも、プロレスのことはなかなか言い出せない……。そうこうしているうちに、デビューしたことがネットのニュースで取り上げられちゃったんです」

 病院に行くと、ベッドの母親から真顔で言われた。

「あんた、今度は何を始めたの? お母さんは病気で死ぬんじゃなくて、あなたが心配で死ぬわ、って。泣きながら説明して、母も泣きながらそれを聞いてくれて……。母は幸い回復したんですけれど、本当に心配をかけたなと思います。

 でも、グラビアに関しては父親から『早くやめてくれ』と言われていたんですよ。『DVDを全部買い占めるから、もうグラビアはやめてくれ』って。プロレスラーになってからは、やめろとは言われていない。そういう意味では、まだマシだと思われているのかもしれませんね(笑)」

【次ページ】 「白川未奈、強いよね」と言われたい

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