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アントニオ猪木を引っ叩いて「立て!クソジジイ!」 鈴木みのる(当時20歳)が猪木をキレさせた“伝説の第1試合”の真相
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2022/06/11 17:01
1989年3月15日、愛知県体育館大会の第1試合で実現したアントニオ猪木vs鈴木実
今でこそ第1試合からテーマ曲が鳴って入場してくるのが当たり前だが、当時は第3~4試合までの選手はテーマ曲なし。ガウンもなしで若手は走って入場してきていた。しかし猪木は、第1試合でありながらメインイベントと同じ形で出てくることに、鈴木は疑問を抱いたのだ。
「だから『俺は“1”以下なんですか?』って、(田中)ケロさんに思いの丈をぶつけたの。そうしたら『なんだおまえ、社長のやることに文句があるのか?』って言われて、『はい、あります。凄く嫌です。いったい俺らはなんなんですか?』『第1試合に出るなら俺と闘ってほしい』ってことを言ったら、ケロさんは理解してくれたんだよ。『そうだよな』って」
「とにかく猪木さんを引っ叩いてやろう」
当時、田中ケロは新日本若手社員のリーダー的存在であり、リングアナウンサーとして選手と共に巡業で廻っていたため、若手選手たちのよき理解者だった。そしてマッチメイク会議に出席したとき、鈴木の思いを提案。するとこの案が通り、3.15愛知県体育館大会の第1試合でアントニオ猪木vs鈴木実が本当に決定したのだ。
鈴木は高校時代、レスリングで国体2位という実績はあるものの元オリンピック選手のようなエリートではなく、新弟子から這い上がった一介の若手選手。デビュー7カ月でわずか1勝しかしたことがない新日本全選手の中でいちばん下っ端だったが、その試合内容や練習姿勢はマスコミ、関係者の間で高い評価を得ていた。そんな鈴木だからこそ、新日本のトップ中のトップである猪木と若手の異例の一騎打ちにGOサインが出たのであろう。
そして迎えた3.15愛知県体育館当日。子供の頃からの憧れの存在であり、新日本に入団してからは雲の上の存在である猪木との試合を前にして、鈴木に気遅れはなかったという。
「当時、猪木さんが45歳で俺が20歳。リングに上がって向かい合ったとき、『うわ~、本物の猪木だ……』っていう感覚はゼロでしたね。倒すべき相手でしかなかった。あれは不思議だなあ。俺は熱狂的な猪木ファンだったけど、新日本に入門する時、その思いはすべて捨ててきた。だから、『やってやる』っていう気持ちだけだったね。『先輩だろうが何だろうがリングに上がったら遠慮するな』と言われてきたし、俺は若手の頃、1日でも早くテレビに出るスターになりたかったから。『ついにチャンスが回ってきた。逃してなるものか』っていう気持ちだけだった。
当日は会場入りして、いつものように練習したあと、猪木さんの控え室に挨拶に行ったの。『今日、第1試合でやらせてもらいますので、よろしくお願いします」って。そしたら猪木さんは『おう!』って、それしか返してくれない。『おまえ、こういう試合をやれよ』とか、何も言われなかった。それで俺は試合時間になるまで、どういうふうに闘うかずっと考えていて『よし、やらかそう。やっちまおう』という結論になったんだ。
やろうとしてたことは、いろいろとあるんだよ。たとえば、ジャーマンスープレックスを仕掛けてみるとか。あとは、隙あらば腕十字とか取れるんじゃないかとか。でも、それは付属で考えていたことでね、いちばん『これだけはやろう』と思ってたことは、とにかく猪木さんを引っ叩いてやろうって。それだけはやるつもりで、リングに上がったんだ」