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《日本ダービー3年前の大波乱》12番人気、単勝9310円…なぜロジャーバローズは大本命・サートゥルナーリアに勝てたのか?
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph byAFLO
posted2022/05/28 17:00
2年前の日本ダービー。単勝1.6倍の大本命・サートゥルナーリアをおさえて、栄冠に輝いたのは12番人気のロジャーバローズだった
猪熊が馬主になったのは20年ほど前だった。仕事の縁で2頭の馬を買い、大井競馬場で走らせた。1頭は日高地方の一番奥、様似町の小さな牧場で買った。それからは、仔馬がうまれたと聞くと、様似や浦河までレンタカーを運転して見に行った。いまでは日高の全部のせりに行っている。日高には素朴な人が多く、牧場で馬を見ていると気持ちが晴れる。自然と、猪熊の所有馬は日高産の馬が多くなっていた。
中央の馬主になってからはダービーが目標になった。だから買うのは牡馬が多い。セレクトセールの目当てはもちろん、ディープインパクト産駒の牡馬である。とはいっても、ノーザンファームのディープインパクト産駒は億を超えるから、予算の範囲で、目星をつけた馬のせりに参加する。カタログに「花丸」がついた409番は上限を8000万円にして競り合った。何人かが手をあげ、猪熊はこれでだめだったら諦めようと思って手をあげた。「7800万!」。そこでハンマーが打ちおろされた。
「ミリオン」には届かなかったが、猪熊が落札したリトルブックの息子は、1歳の4月に中間育成場のヒダカシーサイドファーム(浦河町)に移された。そこで昼夜放牧などで体力をつけ、10月末からノーザンファーム空港(苫小牧市)で本格的なトレーニングを施されていく。
一世代で20頭ぐらいデビューさせる猪熊は、名前を付けるのが大変なので、自身が経営する会社の競馬好きの社員や知人から募集している。この年も100ぐらいの候補が集まったが、リトルブックの息子にうまく合う名前がなく、自分で考えた。角居が言う「事業で成功した人」が付けた名前はロジャーバローズだった。
馬運車で興奮、レース当日も入れ込んで……
2歳の夏。ロジャーバローズは栗東トレーニングセンターの角居厩舎に入厩した。ところがここで問題がおきた。酒気帯び運転によって、角居が半年間の調教停止処分を受けたのだ。角居厩舎の馬たちは中竹和也厩舎に籍を移すことになる。
中竹厩舎の所属となり、8月に新潟のデビュー戦を完勝したロジャーバローズは、2戦めは2着に負けたが、3歳になった1月5日に特別に勝った。これで3戦2勝。クラシックへの道筋が見えていた。
この間、角居は自宅のテレビでレースを見ていた。元々、いい体をしていたし、能力の高い馬だと思っていたが、ロジャーバローズの走りを見ていると、ちょっとコントロールしづらい印象を受けた。
1月8日。角居が復帰する。思っていたとおり、ロジャーバローズは気むずかしい面があり、まっすぐに走らない馬だった。角居は調教のパターンをすこし変え、馬の気分に合わせて調教してみることにした。
しかし、皐月賞の出走権をかけたスプリングステークスは7着に惨敗する。中山に輸送する馬運車のなかで馬が興奮してしまったのだ。レース当日もずっと入れ込んでいて、まったくレースにならなかった。
皐月賞を断念したロジャーバローズは短期放牧にだされ、立て直しをはかってダービーをめざすことになった。
「ダービーに出られたら」凱旋門賞へ
ダービーの出走権がかかった京都新聞杯の前夜、猪熊は角居と会食していた。角居厩舎からは'17年菊花賞馬のキセキが凱旋門賞に挑戦するとの話を聞き、ロジャーバローズも一緒に行く案が角居からだされた。同行馬がいればキセキもロジャーバローズもともに安心だし、リスクもすくなくなる。
「お母さんもヨーロッパの馬ですし、ダービーにでられたら、行きましょう」
猪熊は了承し、角居に凱旋門賞の登録をしてもらうことにした。
京都新聞杯は逃げて2着に粘り、ダービーの出走権を手に入れた。同時に、凱旋門賞に参戦することも決まった。