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オリンピックへの道BACK NUMBER
“高橋大輔の同期で元ジャニーズJr.”小林宏一36歳が振り返る、もったいないと言われ続けた現役時代「これ以上の努力をする自信がなかった」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYuki Suenaga
posted2022/05/28 11:01
全日本選手権に8回出場したフィギュアスケーターで元ジャニーズアイドル…異色の経歴を持つ小林宏一に話を聞いた
小さい頃から見てきた彼らが世界で活躍する姿を見て、自分も努力していたら……と思い返す日はない。はっきりと「僕は(戻って努力しようとしても)耐えられないと思います。もう尋常じゃない努力なんで。でも、彼らはみんな当たり前のように小さい頃からやり続けてきたんですよね」
競技引退を決めて次のキャリアを模索する中、よぎったのはジャニーズ事務所だった。
「事務所に『現役引退することになりまして』と電話で報告したんです。それで『どうするの、これから』と言われて『ショーに入ろうと思っていて、ジャニーズとも両立していきたい』と答えたんです。ただ、それが先方的にはNGだったらしくて。
ただ結果的には選択は間違っていなかったなと思っています。ちょうど同じ世代のキスマイ(Kis-My-Ft2)とかA.B.C-Zがデビューする何年か前でしたけど、僕も24歳だったし、その年齢からのデビューは絶対無理。みんな小さい頃から舞台やドラマ、コンサートとずっと経験を積んでいる人たちですし、たぶんついていけなかったんだろうなと」
アイスショーへ「ジャニーズの影響もちょっとあるかも(笑)」
その後、海外のアイスショーの道も勧められたが、プリンスアイスワールドのチームに加入。今では男性リーダーとして活躍する小林は、昨年に男性のみのユニット「レベルブレード」を立ち上げた。
「男性だけのグループを作りたいと思っていたんです。やっぱりフィギュアスケートの人気は女性のファンに支えていただいてる面も多いと思うんです。あと、ジャニーズの影響もちょっとあるかもしれません(笑)」
しかし、ときはコロナ禍にあった。
「プリンスアイスワールドも一気に20公演がなくなっちゃったりして、その分稼ぎがなくなるわけで。まさかゼロになるとは想像もしていなくて、当時は精神的にも体力的にもキツかった」
それからなんとか道を探り、ようやくレベルブレードで初公演を迎えた時のことは鮮明に記憶している。
「ジャニーズでもユニットで踊らせてもらうことはありましたが、バックダンサーだったので舞台の中央に立ってメインというのはなかった。レベルブレードは自分たちで意見を出し合って、これやろうかあれやろうかと振り付けも全部自分たちでやってるんです。楽しいですよ」
フィギュアスケートという分野で、プロとして積極的にエンターテインメントを広めようと努める根底にあるのは、業界の行く先を案じる思いからだ。
「野球、サッカー、やっぱりどのスポーツもプロの世界ってすごいじゃないですか。スケートもプロの世界も盛り上げていかないと、発展していかない。フィギュアスケートの難しいところって、強い選手がいるから盛り上がるっていう単純な構造じゃないからだと思うんです。だから僕たちも現役の選手並みに頑張って、ファンをどんどんどんどん増やしてフィギュア熱を盛り上げたいなって。そうすれば必然的にリンクも増えるだろうし。リンクが増えるということは、いい環境で練習できるというのにもなってくると思うんです」
30年をゆうに超えるスケートとの生活の中で、傍から見れば意外性あふれるキャリアも築いてきた。でもずっと変わらずにフィギュアスケートに生きてきたからこそ、その明るい未来を切り拓きたい。そう考えている。
撮影=末永裕樹
〈前編から続く〉
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