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オリンピックへの道BACK NUMBER
“高橋大輔の同期で元ジャニーズJr.”小林宏一36歳が振り返る、もったいないと言われ続けた現役時代「これ以上の努力をする自信がなかった」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYuki Suenaga
posted2022/05/28 11:01
全日本選手権に8回出場したフィギュアスケーターで元ジャニーズアイドル…異色の経歴を持つ小林宏一に話を聞いた
「2時間半の貸し切り練習を1人で滑らなければいけないことがあって。先生と1時間レッスンして、そのあとはプログラムに入っているジャンプ、スピン、ステップを全部10回ずつやりなさい、と。終わったら別のリンクに呼ばれてそこで練習して、という具合で、1日に8時間くらい滑ってましたね」
練習嫌いだった当時の小林にとってはこの上なく辛い時間だったはずだ。でも、門奈先生の宿題をこなすうち、不思議な感覚が巡ってきた。すべてをやりきれないことが悔しい――。言われたこともサボってしまえばよかったのに、滑り込むうちに自然と素直にコーチの言葉を聞き、成長を実感できた。
「知らないうちに『はい、やります』みたいな感じになっていて。自分を変えることができたというか。『あっ、スケートって楽しいな。やめなくてよかったな』って」
現役引退から12年…「もったいない」と言われ続けた現役時代
そこから浮上した小林だったが、大事なシーズンに怪我に見舞われ、ついに2009-2010シーズン限りで競技生活から退いた。
「やめると決めていたわけではなかったんです。でもインタビューで『最後の全日本どうですか』と言われて、『ああ、これで引退するんだ』くらいな感じでした。ちょうどオリンピックイヤーだったんですけど、怪我からもようやく復調して佐藤久美子先生から『あんた何、もうオリンピックみんな行っちゃってるわよ。遅いわよ、今さら調子良くても』と言われるくらい調子が良くて(笑)。
でもその年の世界選手権を観て、『勝てないな』って思ったんですよね。もちろん優勝した髙橋大輔もすごいと思ったけれど、海外の選手の滑りに『自分がもしこの舞台に立ったところで……』と感じた。それまではもっともっと頑張ればという気持ちがどこかあったんだけど、はっきりと『もうだめだな』と」
「『もったいない』とずっと言われてきた」と小林は振り返る。でもそんな選手が山ほどいることを、誰よりも知っている。引退を決断した理由もはっきりしていた。
「『もっと努力していれば、もっと上に行ったのに』と言う人はいっぱいいました。でも、僕にはこれ以上の努力をする自信がなかった。ちょうど周りからの支援もなくなるタイミングで、これ以上親に迷惑をかけなきゃいけないことを考えると、全てを捨ててまで出来ないと思ったんです。だから『ああ、やめよう』と。だから今も、ああしておけばよかった、みたいな後悔はないですね。その時、やっていたことが自分の実力だと思うので」
そこに気づいたからこそ、トップスケーターたちのトップスケーターたる理由も実感する。
小林が目撃したトップ選手の「尋常じゃない練習」
「羽生(結弦)くんは、すごく練習していましたね。言い訳する前にとりあえず練習、みたいな感じ。痛くてもうできないというようなコケ方をしても、すぐに跳び始める。トリプルアクセルが初めて決まったときには(阿部)奈々美先生と泣きながら喜んでいました。プリンスアイスワールドのゲストで出てくれたときも、公演の間にまで練習してましたもんね。『ちょっとだけでもいいから』って。未だかつてそんな選手いませんよ(笑)。
宇野昌磨くんもお母さんに怒られながらも練習し続ける姿を覚えています。そんな子が気づいたらトリプルアクセル、4回転ジャンプを跳んでるんですから(笑)。本当すごいです。(髙橋)大輔だってそう。中学生の頃、一緒に全中(全国中学校選手権)に出てましたけど、練習量が半端じゃなかった。今だに、音の取り方とあの表現力で大輔の右に出る者はいないと思います」