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ソン・フンミン“両足自在の決定力”は「完全に父の作品」 小3から“勝負より基本を徹底”した教育とは《アジア人初プレミア得点王》
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byGetty Images
posted2022/05/25 11:00
アジア人として初めて「プレミアリーグ得点王」に輝いたソン・フンミン(29歳)
ウンジョン氏はどのような人物なのか。
今年60歳。Kリーグでプレーした元プロサッカー選手で、引退後に指導者の道へ進んだ。現在は自身の名前を冠した「SONサッカーアカデミー」を設立し、そこで監督を務めている。ちなみに同アカデミーは7万1000平方メートルの広さで、約170億ウォン(約17億円)を投じて作られた。国や自治体からの助成金はもらわず、すべて自費というから驚きだ。
1985年にKリーグの尚武(サンム、現在は金泉尚武)でデビュー。その後は現代ホランイ(現在は蔚山現代)や一和天馬(現在は城南FC)などでプレーしたが、試合中に足首を骨折し、28歳という若さで現役を引退。プロ選手生活はわずか5シーズンと短かった。
引退後の苦労は想像に難くない。昨年10月、自身のエッセイ出版と同時に掲載された「東亜日報」とのインタビューで、その素性が見えてくる。
「数々の重労働、ヘルストレーナー、小学校で放課後に講師、施設管理などで生活費を稼いだ。ただ、貧しい生活の中でも運動と読書だけは一日も減らさず、仕事に出る日も運動時間を確保するため、夜が明ける前の深夜3時半に起きて運動をした」
ケガでプロサッカー選手の道を絶たれ、その後は行く当てもなく、なりふり構わず生活のために必死に働いた。
勝利主義からの脱却「私のようにやってはダメだ」
ここから指導者の道に進むきっかけになったのが、息子のソン・フンミン。小学校3年のソンは父に「サッカーを教えてほしい」と必死にせがんだ。父は「簡単な道ではないし、普通の覚悟ではできない世界」と息子に伝えたが、一向に諦める気配がなかったという。
これを機に父と息子とのトレーニングが始まった。息子を小・中学校時代はサッカー部に所属させず、基本的な技術だけを自ら指導していたのは韓国で有名な話でもある。
「私のようにやってはダメだ。私が教える子どもたちには、私と正反対のシステムで指導する」
ウンジョン氏がこう語る背景には、自身のプロサッカー選手時代の経験が大きく関係している。韓国では子どもの頃から“勝負”を常に意識させられ、過酷な練習で体を酷使するのでケガも増える。プロになった時には早々に使い物にならなくなる選手も多く、そうした現実をウンジョン氏は目の当たりにしてきた。
だからこそ自分の息子には、同じ轍を踏ませないように大切に育てたいと思ったのだろう。