Number ExBACK NUMBER
「自殺報道も見ても、弱い子やったんかなって」「夫婦して狂っていた」我が子を闇クラブに預けた親が告白する“私が毒親だったとき”
posted2022/05/15 11:00
text by
島沢優子Yuko Shimazawa
photograph by
Getty Images
スポーツライターの島沢優子氏が、そんな“スポーツ毒親”の姿をレポートした『スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか』(文藝春秋)から一部を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/#2、#3に続く)
真理は自分たちを「かつては毒親だった」と認めているが、彼らは指導者によってそうなった向きがある。いわば、勧められたコーヒーを毒入りとは知らずに飲んだ人たちだ。仮にそうでない指導者に出会えば、違う状況になっていただろう。
しかし、毒を盛ったほうも、盛られたほうも、それが子どもにとって毒になるとは思っていない。暴力やパワーハラスメントがあってこそチームは強くなる。強くなって全国大会へ行くことが子どもにとっての幸せだと信じていた。
彼女たちは、何故これだけブラックなチームに子どもを預けたのだろうか。一人ひとりに聞いてみた。
まず沙季。パート勤務をしながら会社員の夫と3人の子どもを育てている。バレークラブに所属していたのは長男の拓海だ。4つ上の次姉も同じチームに在籍していた。
告白1)自殺報道を見ても「まあ、これくらいあるよな」
もともと違うクラブでバレーをしていた娘が小学3年生のときに「全国大会に行けるチームに移籍したい」と言うので、隣の市にあったA監督のチームに入りました。前のチームはそこそこ強かったのですが、全国大会出場の実績はなくて。
A監督の練習を見学に行くと、小学生がやるようなレベルの練習ではありませんでした。高度だったし、何より子どもたちがすごく訓練されているというか。例えば「今の(プレー)、何があかんねん?」って言われると、子どもたちはすぐに答えるんです。怒られても平気で。小学生のレベルでこれだけの練習をするなら、そりゃあ全国行けるわ、と思いました。
私も実業団でバレーをしていて、高校は県で上位だったんです。暴力ですか? 凄かったですよ。顧問の暴力指導に加えてチームメイトとの軋轢もあって、いっときメンタルやられました。本気で自殺しようかな、って考えるくらい落ちましたから。
けど、それ乗り越えて大人になると、もう忘れちゃう。自分が高校で全国大会に行けなかったので、子どもは行かせたいっていう思いしかなかった。だから、どれだけ厳しかろうが、たたかれようが、それくらいせな勝たれへんやろうって考えちゃったんです。
「ここでやるって決めたんだったらやり続けなさい。辞めるとかいったらあかんで」とお姉ちゃんに言いました。それが2013年の夏です。
体罰報道も「そんな大したことでもないのに」
そういえば2013年は、1月に大阪で高校のバスケット部員が顧問の先生の体罰で自殺してすごく大きなニュースになっていました。もちろん「かわいそうやなあ」とは思いましたが、まあこれくらいあるよなっていう感じでした。ああ、このバスケの子、弱い子やったんかなって思った。私らでも耐えられたことが、今の子って耐えられへんのやっていうのが正直な感想で。だからその子の体罰動画がテレビに出てても「そんな大したことでもないのに。うちなんか、もっとされてたわ」って思ってました。