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《日本女性初のF1ドライバー候補》「これからはJujuが一所懸命レースをやる」野田樹潤16歳が元F1ドライバーの父と交わした12年前の約束
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2022/05/13 06:00
2006年2月生まれ、弱冠16歳のJuju。3歳でカートに乗り始め、07年には11歳にしてフォーミュラカーにデビューした
だが、開幕戦はJujuにとって、プロの洗礼を受ける結果となった。フリー走行でクラッシュしたJujuは、マシンを修理してもらって予選に参加するも、「元の状態には戻っていなくて、ストレートで真っ直ぐに走るのも苦労していて、まともにアタックできませんでした」(Juju)という状態で18人中、予選最下位に沈んだ。レース1は12位に終わり、なんとかレース2で挽回したいところだったが、スタート直後にオーバーテイクした相手に追突され、本来の走りができないまま15位でフィニッシュした。
それでも野田がJujuを見つめる眼差しは、穏やかなままだ。
「本人が頂点のカテゴリーで活躍したいというのなら、やる以上は夢は叶えてほしいし、そのためにこちらも全力でサポートします。でも、父親として、娘にF1ドライバーになってほしいという思いはまったくなくて、仮に明日レースをやめたいと言っても、Jujuの人生は彼女自身のものだから、私が止めることはない」
不完全燃焼に終わった父のF1
ただし、90年代に自分が味わった苦労だけはしてほしくないとも言う。
「私が80年代後半から90年代前半にかけて、単身渡欧して海外でレース活動したときにはいろんな苦労がありましたから」
野田は89年に渡英。フォーミュラ・ボクゾール・ロータスに参戦し、いきなり優勝を経験。90年にはイギリスF3にステップアップした。91年に初優勝を飾り、92年には国際F3000(現在のF2)に進み、94年には日本人初となる表彰台をゲットし、同年シーズン終盤にラルースからF1デビューした。
95年はシムテックと契約を結んでいったんはフル参戦する予定だったが、自身のスポンサーが阪神淡路大震災の被害を受けてF1のサポート活動が休止に追い込まれ、ようやく参戦するための資金を調達したと思ったら、今度はチームが資金難のためにF1を撤退するという不運が重なり、結局この年限りで野田はF1への挑戦に終止符を打つこととなった。
「自分がイギリスの国籍だったらなあとか、F1をよく知っているマネージャーがついていてくれたら、チームとの交渉ももっとうまくいっていたんじゃないかなあとかいう思いはありました」
野田はそう語り、続けた。
「自分が経験した中で、レーシングドライバーとは関係ないところでの余計な苦労はさせたくない。そして、自分が経験できなかった世界へ行ってもらいたい」
父と娘の12年前のル・マンの約束は、いまもまだ続いている。