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「投げたら壊れる」33年前、近鉄リーグ優勝の代償に“加藤哲郎25歳の肩”…激変した“令和の投手起用法”に何を思う?
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph bySankei Shimbun
posted2022/05/07 11:05
1989年日本シリーズ、近鉄vs巨人。仰木彬監督と第3戦の勝利投手・加藤哲郎25歳
8回表、ブライアントが渡辺久信から48号決勝アーチを放つと、仰木監督は抑えの吉井理人をマウンドに送った。近鉄は6対5で逃げ切り、加藤哲が勝利投手に。第2試合もブライアントの49号ソロで勝ち越すと、リベラ、鈴木貴久にも一発が飛び出て、14対4と大勝。近鉄はマジック2を点灯させた。
「(本拠地の)藤井寺に戻る新幹線の中で仰木監督に『明日先発いけるか』と聞かれました。既に肩がパンクしていて、投げたら壊れるなと。でも、人生どこで頑張るかだなと思って。(オフの間に治って)来年投げられへんとも限らないし、『いけますよ』と答えました」
中1日で先発。優勝を決めた
10月13日、1厘差で追う2位のオリックスは川崎球場で最下位のロッテと対戦。ブーマーの2発などで3点をリードするも、愛甲猛の3ランで逆転負けを喫する。『マジック1』となった近鉄は翌日、藤井寺にダイエーを迎え、加藤哲が中1日で先発した。
「肩が痛いし、特に調子が良いわけでもなかった。ただ、なんか知らないけど、『どうせ勝つでしょ』みたいに思ってましたね。プレッシャーなんて全くなかった。あとで冷静に考えたら、そんな試合じゃないんですけど(笑)。負けたら西武との最終戦までもつれて、相手は苦手の渡辺智男でしたから」
藤井寺球場は優勝を確信したファンの熱気で充満していた。大声援を背に、加藤哲は6回3分の1を1失点に抑え、勝利投手に。主砲のブライアントやエースの阿波野秀幸の活躍ばかり注目されたが、加藤哲のフル回転なくして仰木監督の胴上げはなかった。テレビ中継の視聴率は関東地区で29.5%を記録し、セ・リーグの巨人が優勝を決めた試合の28.5%(ともにビデオリサーチ調べ)を上回った。
1989年の多投…後悔はないのか
近鉄は前年の雪辱を果たし、西武の5連覇を阻止した。優勝の代償として、加藤哲はその後の野球人生をほとんど棒に振ってしまう。30年以上経った今、後悔はないのか。
「投げて良かったと思いますよ。だって、そういうタイミングってなかなかないので。何かすれば、メリットもデメリットも両面ありますよ。登板しなかったら長く野球を続けられたかもしれないけど、やっぱりあの場面で頑張ったから今がある。だからまあ、しょうがないなという感じですね」
加藤哲は「優勝を決める試合で先発するピッチャーになります」という河西スカウトとの約束を守り、近鉄ファンの記憶に残った。そして、巨人との日本シリーズを迎える――。(中編へつづく)
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