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トラブルメーカーがロッテに決別宣言…「なんで、あいつの一面ばかりが切り取られてしまうのか」仲間たちが知る伊良部秀輝の素顔とは?
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKoji Asakura
posted2022/05/03 06:03
42歳の若さで自ら命を絶った伊良部秀輝。甲子園でも対戦経験があるロッテ同期の大村巌は、“トラブルメーカー”と呼ばれた男の意外な素顔を明かした
邂逅は北海道・東海大第四高校2年夏の甲子園だった。5番バッターだった大村は1点ビハインドの9回、尽誠学園の2年生エース伊良部から同点ホームランを放った。香川の怪腕が投じるストレートは、それとわかっていても前に飛ばすことさえ難しかった。だから、その打席は人生で初めてバットを短く持って、1・2・3のタイミングで振った。すると打球は左翼のラッキーゾーンへと飛び込んだ。
あとから聞いたことだが、伊良部を獲得しようと映像を確認していたロッテのスカウトが、たまたまこの場面をビデオで見て、大村のプロへの道が開けたのだという。
「覚えてるよ」
あのとき甲子園で見た自信たっぷりの剛腕が、こんなに気さくな男なのかと、大村は意外な思いだった。
「伊良部、今度はお前の投げてる時にホームラン打つよ」
「おう。頼むわ」
それからは一軍と二軍、住む世界が分かれたが、伊良部はことあるごとに大村にメッセージを送ってきてくれた。
「コンちゃん、早く一軍に上がってこいよ」
「勝つためには、速い球は必要ないんや」
6年目にようやく同じ舞台に立てるようになってからは、よくふたりで飲んだ。
外に出ればスナックで、出たくない夜にはホテルのラウンジで。ビールで喉を潤すと、伊良部はいつもウイスキーのグラスを手に野球の話をした。プライベートや家族の話はしなかった。愚痴や悩みをこぼすでもなく、趣味の話をするでもなく、内面の深いところを覆うようにひたすらピッチングについて語った。
「伊良部」というのは沖縄の姓なのに、なぜ兵庫県尼崎の出身なのかと、大村はふと思ったが、米兵だった父と日本人の母との間に生まれた出自について、伊良部が語ったことはなかった。
「160kmまでは投げられるよ。でも、肘が飛んでしまう。ゲームメイクして勝つためには、そんな速い球は必要ないんや」
伊良部は言った。
なぜ、これほど論理的にピッチングを考えられる男が、マウンドを離れると激情に駆られてしまうのか。なぜ、心許した者にはこれほど優しい男が、メディアや不特定多数の人間に対しては問題児として受け止められてしまうのか。大村は伊良部を見ていて切なくなることがあった。