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「年齢のせいにして弱気になっていた」川内優輝35歳をモヤモヤ期から救った“弟の説得”「あと、半年遅かったら危なかったですね」

posted2022/04/30 11:02

 
「年齢のせいにして弱気になっていた」川内優輝35歳をモヤモヤ期から救った“弟の説得”「あと、半年遅かったら危なかったですね」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

35歳の現在も第一線で走り続ける川内優輝。2018年のボストンマラソン優勝後の“モヤモヤ期”を抜け出した秘話を語った

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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Kiichi Matsumoto

 ASICS Meta:Time:Trialsのレース会場に川内優輝の姿はなかった。

 ボストンマラソンを終えた後、スペイン・マラガに入り、10kmのレースに参加予定だったがコロナ陽性の結果が出て、欠場が決まった。川内は、昨年2月のびわ湖毎日マラソンで念願の7分台を出し、復活を印象付けた。一時期、川内は終わったように言われたが今は、むしろ成長している。その理由を聞きたかった。

 35歳の今、なぜ若い時よりも速くなっているのですか――。

「このままだと第一線で走り続けるのは厳しくなるなと…」

 川内がサブテンを初めて記録したのは、2011年東京マラソン(2時間8分37秒)だった。13年ソウル国際マラソンでは2時間8分14秒で自己ベストを更新し、「7分台を狙う」と宣言した。だが、川内の意欲とは裏腹にタイムは上がらなかった。工夫をすればまだいけると思ったが、その考えに亀裂が生じたのが2018年4月、ボストンマラソン優勝後だった。

「ボストンに優勝した後からマラソンが大きく変わっていきました。ペーサーの設定がそれまではキロ3分ペースだったのが、ボストン以降は2分55秒から58秒ぐらいにスピードが上がった。レース展開も前は序盤から突っ込んで残るのは1、2人ぐらいだったんですけど、それからはみんな落ちなくなったんです。

 19年、びわ湖でサブテン(2時間9分21秒)してからのレースは、先頭に早々に置いていかれて苦しくなる展開で終わっていました。スピードもタイムも出ない。正直、このままだと第一線で走り続けるのは厳しくなるなと思っていました」

 公務員ランナーとして走り始め、プロになってからも川内のモチベーションは、自己ベスト更新だった。それが川内というランナーの生きがいでもあったが、それが出来ない時間がつづいた。「モヤモヤしていた」と川内はいうが、内心はもっと深刻だったはずだ。

 その時計の針を動かすために、川内は動いた。練習環境を見直し、結婚後、住まいも越した。そこで思いがけない出会いがあった。よく行く練習場で実業団のコモディイイダが練習していたのだ。ある日、思い切って会沢陽之介総監督に練習参加をお願いすると、快諾してくれたという。

【次ページ】 「間は厚底一色。自分はまだ薄底で…」

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