草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
落合博満を「センセイ」と呼んだゲーリー、薄毛に悩んだマーチン…中日在籍61年「ミスター裏方」が語っていた“愛され助っ人たちの素顔”
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKazuhito Yamada
posted2022/04/23 11:01
中日OB・足木敏郎さんが獲得に携わった選手の中でも、選りすぐりの4人のエピソードを紹介したい
「本当に悲しい。足木さんは私の人生を変えてくれた人。恩人だ。彼と出会って、中日に来て人生が変わった。日本で活躍できたから、大リーグでもコーチができた。中日にコーチとして帰れた。ご遺族に心からお悔やみ申し上げる」
92年の開幕直前に緊急獲得。困った足木さんが相談したモッカからの推薦だった。MLB通算は3本塁打とやはりメジャーの壁は打ち破れなかったが、コンパクトな打撃でも7年間(98年だけ阪神所属)で116本塁打。94年から3年連続首位打者に輝くなど、通算打率は.313と非常に高い。
また、今では当たり前になっているエルボーガードの第1号としても知られる。巨人の桑田真澄から左肘に死球を受け、欠場したことをきっかけにスポーツメーカーにリクエスト。複雑な動きにも対応できるガードを苦心の末に開発し、そこから外角球を踏み込んで打つ技術が格段に上がった。
レジェンド4人の共通点とは?
自身ではたった1試合しか出場できなかった足木さんだが、ドラゴンズにはとてつもない大きさの足跡を残した。ここに挙げた4人に共通するのは、MLBでは活躍できなかったこと。刺身を食べ、仲間と将棋や麻雀に興じ、日本の野球だけでなく文化にも溶け込もうと努めたこと。その結果としてパウエルを除く3人は優勝に貢献し、パウエルもあの「10.8」で巨人を追い詰める立役者となった。
チームを勝利に導いた4人のレジェンド外国人。帰国後も足木さんとの交流が続いたことも、当然の共通点である。
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