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棚橋弘至「ジェイク、新日本に上がってこいよ」 “猪木がいなかった夏”から50年、後楽園ホール還暦祭はプロレス界に何を残したのか?
posted2022/04/20 17:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
4月16日、後楽園ホール。試合開始前、赤く染まった客席のスクリーンには、アントニオ猪木の姿が見えた。猪木の声はちょっとかすれていたが、久しぶりに満員になって「還暦」を迎えた会場に、お祝いの「ダァーッ」の拳が力強く突き上げられた。
メインイベントは棚橋弘至、宮原健斗組vsジェイク・リー、タイチ組の新日本・全日本の混合タッグ戦だったが、時間が過ぎるのが早く感じられた。とりわけ棚橋とリーの対戦は新鮮だった。試合は30分フルタイムの引き分けだったが、ファンはお祭りを楽しんだ。
「還暦祭」のチャンピオンベルトを巻いた棚橋と三冠ベルト姿の宮原は、四方のファンにポーズを決めて、長めのフォトセッション・タイムまでサービスしていた。
思えば棚橋も宮原も、後楽園ホールでデビューした。棚橋は1999年10月10日に真壁伸也(刀義)と対戦し、宮原は2008年2月11日、真田聖也(SANADA)がデビュー戦の相手だった。そのSANADAがケガで還暦祭を欠場したのは残念だったが、いろんなことを考えさせられた一夜だった。
棚橋弘至「ジェイク、新日本に上がってこいよ」
かつては後楽園ホールでデビューしたレスラーは少なかった。後楽園ホールや東京の会場、出身地あるいはテレビマッチの体育館でデビューできた選手は幸せだった。地方の野外の名もない駐車場や、空き地での突然のデビューもあったからだ。
「いろんなものが積み重なっているんだ。なあ、もっとやったら面白くなるんじゃないか?」
リーがリング上でこう言うと、棚橋が返した。
「提案があるよ。ジェイク、新日本に上がってこいよ」
棚橋は「リップサービスだ」と軽く流してみせたが、こうも付け加えた。
「何もないゼロからは、何も生まれないから。オレはイチを投げた。これからどうなるかは彼次第。彼の熱量と活躍次第。もちろん宮原選手も誘いたいよ。でもチャンピオンだから」