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山本由伸はなぜドラフト4位まで残っていた? 元18番の担当スカウトが明かす“期限ギリギリの志望届”「宮崎にすっ飛んで行きました」
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKYODO
posted2022/03/27 17:05
オリックスに12年ぶりの開幕戦勝利をもたらした山本由伸。日本シリーズでのリベンジを胸に新シーズンのスタートを切った
もう一つ、他球団が積極的に山本をマークしなかった要因があった。山本は当初、プロ志望届を出さず、社会人野球に進もうと考えていたからだ。
だが悩んだ末、期限ギリギリのタイミングで、プロ志望届を提出した。
山本と話を進めていた社会人チームには、山口と同い年で親しい間柄だった関係者がいた。
「その人ともずっとやり取りをしていたんですが、その社会人チームに(山本側から)正式に断りの連絡があった時に、その人から連絡をもらったんです。『だったらうちが一番に行かないといけない』と、調査書を持って、宮崎にすっ飛んで行きました」と明かす。
「そういう不思議な縁があったんですよ。だから他球団が知らない情報を教えてもらえたりした部分もあったので」
自分の手柄ではなく、ご縁のおかげ。山口の謙虚な人柄がうかがえる。
いくつもの縁と決断が重なった末に、「オリックスの山本由伸」は誕生した。
山本は19年のオフ、背番号を43から18に変更した。“18”はかつて山口が背負っていた番号。これも“不思議な縁”の一つだろう。
「なんとかなるわ」18歳の決断
高校3年生の時、社会人野球からプロへ、ギリギリのところで進路を変更した理由を今年山本に尋ねると、こう答えた。
「一度は、社会人だなって決断したんですけど、いろいろなお世話になっている人たちと話しているうちに、『社会人じゃないな。やっぱりプロ行きたいな』と思いました。どちらかというと、社会人に行くという考えは、自分としてはちょっと守り的な考えで、そんなんじゃダメかなーと思って。やっぱプロだな、と。『なんとかなるわ』と思って決めました」
「なんとかなる」どころではない。プロ5年目の昨年はチームを優勝に導き、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率のタイトルを総なめにし、沢村賞、パ・リーグMVPを獲得した。侍ジャパンでも、東京五輪で日本のエースとして開幕戦と韓国との準決勝に先発し、金メダル獲得に大きく貢献した。
2016年のドラフト後の指名挨拶の際、山口は、「最終的に、うちの看板選手になることは当然だけど、それだけじゃなく、日の丸を背負ってやれる選手になってもらわないと困るよ」と語りかけ、山本は頷いた。
「その前から、球団として、1人でも多く日の丸をつけて戦える選手を発掘していこうという方向性があって、それが由伸だったんです」
山本はその期待に応えた。ただその成長速度については、「だいぶ想像を超えています」と強面の山口が相好を崩した。