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武豊「何年もの間、夢に出てきてうなされた」 ディープインパクトの凱旋門賞“まさかの敗戦”を、騎手と調教師はどう語ったか?
posted2022/03/05 11:02
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
AFLO
2005年の年頭に某競馬雑誌の企画で武豊騎手のインタビューを行った。
前年の活躍を振り返りつつ、その年の意気込みを語っていただく企画ページ。当時の誌面を見返すと、04年にタッグを組んでGIを制したダンスインザムードやアドマイヤグルーヴ、タイムパラドックスらの話に続いて、新馬を勝ったばかりの馬への質疑応答も掲載されていた。そのやり取りは次の通り。
――あと、新馬を勝っただけですがブラックタイドの下にあたるディープインパクトも相当の器なのではないですか?
ユタカ 持ったまま凄く切れる脚で楽勝しましたからね。脚元とか、問題なければかなり出世できそうですね。
GI連勝で挑んだ凱旋門賞…欧州の競馬ファンも熱狂
その後のディープインパクトの活躍は皆さんご存知の通り。05年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞の3冠を無敗で成し遂げると、タッグを組み続けた武豊騎手は言った。
「『ついに出た!』という感じです。無敗での3冠制覇はシンボリルドルフ(1984年)以来、史上2頭目らしいですね。ルドルフは僕が競馬学校生の時にその活躍を見て、騎乗していた岡部(幸雄)さんに憧れたものです。そんな思い出深い馬と記録面で並べて凄く嬉しいし、光栄です」
そんなディープインパクトはその後の有馬記念(GI)こそハーツクライの逃げ切りに屈し2着に敗れたが、翌06年には天皇賞・春(GI)と宝塚記念(GI)を連勝。通算成績を11戦10勝として勇躍フランスへ遠征。凱旋門賞に挑戦する事になった。
当時、このチャレンジは社会現象とも言える盛り上がりを見せたが、現地フランスでもそれは同じだった。“日本のチャンピオンホースがついにヨーロッパの牙城を崩す時が来たか?”とマスコミが書き立て、目の肥えたヨーロッパの競馬ファンも騒いでいたのだ。