Number Do MoreBACK NUMBER
人類初の2時間切りまで“あと99秒”…キプチョゲが語る“F1化するマラソン”「それでも速く走るのはシューズではなくてランナーです」
posted2022/03/05 17:00
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph by
Takuya Sugiyama
そこで、キプチョゲが自身のマラソンについて語った「Sports Graphic Number Do」掲載インタビューを特別に公開する。
〈初出:2018年10月18日発売号「2時間01分39秒の衝撃。エリウド・キプチョゲ」/肩書などはすべて当時〉
高速レースで記録が出やすいと言われるベルリンマラソンだが、誰がここまでのタイムを予想しただろうか。世界記録を1分以上も更新したキプチョゲが、自身のマラソンについて語った。
◆◆◆
安定した体幹を軸に、手足がメトロノームのように正確なリズムを刻む。見るからにランニングエコノミーに優れたフォームは、夢の永久機関を思わせるほど滑らかで美しい。
2018年9月16日、ベルリンマラソンはエリウド・キプチョゲの一人舞台となった。序盤からキロ2分53秒のペースで飛ばし、ウィルソン・キプサングらライバルを早々に振り切ると、世界記録を上回るペースを維持。25kmでペースメーカーが離脱してからも、スピードが鈍ることはなかった。それどころか40km以降はラストスパートをかけ、何とキロ2分48秒でブランデンブルク門を駆け抜けた。
「実際のところは、たった25秒です」
フィニッシュタイムは2時間1分39秒。デニス・キメットが持つ世界記録を一気に1分18秒も短縮してみせる快挙だった。2時間の壁まであと99秒――色めき立つメディアを前に、キプチョゲは普段通り、穏やかな表情で答えた。
「人間には限界がないと思っています。すべてが可能です。記録は破るためにあるのですから。実際のところは、たった25秒です。2時間の壁を破ることは、壮大な科学の力が必要なほど難しいものではありません。それができると信じ、ランナーを信じてくれる優れたチームがいて、完璧なシューズを履いて、これまでにいたどのランナーよりも強くなることだけが必要なのです」
そう、じつはキプチョゲはすでに42.195kmを2時間0分25秒で走ったことがあるのだ。
マラソン転向のきっかけは「五輪代表落選」
キプチョゲが世界の舞台に躍り出たのは2003年の世界陸上パリ大会。18歳で5000mの王者となり、一躍脚光を浴びた。しかし、その後はアテネ五輪で銅、北京五輪で銀と、なかなか世界一に手が届かずにいた。そんな中、2012年のロンドン五輪でケニア代表を逃してしまったことを機にマラソンに転向する。すると、翌年のハンブルクマラソンでいきなり優勝、ベルリンマラソンで2位に入り、その後は向かうところ敵なしの連勝街道を突き進むことになった。