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ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
DeNAからメキシコ挑戦へ…乙坂智28歳が振り返る“戦力外通告を受けた日”「スパッと切ってくれたのも球団の愛情」
posted2022/03/02 11:01
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph by
Shiro Miyake
「テーマは『横浜から世界へ』です!」
よく晴れた2月のある日、元横浜DeNAベイスターズの乙坂智は、青く輝く大海原をバックに快活な表情でそう宣言をした。
生まれも育ちも横浜「一番は人がいいんですよね」
乙坂は10年間過ごしたDeNAを昨シーズンかぎりで退団。その去就に注目が集まっていたが、2月1日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズへの入団が発表された。
話を訊きたいとアポイントをとると、取材の場所として指定されたのは、横浜の湾岸エリアだった。あたりを見渡せば横浜港、対岸には房総半島がうっすら姿を見せていた。
「いいところでしょう? ここ結構穴場なんですよ」
そう言うと、乙坂はニヤリと笑った。
聞けば、この場所からほど近い中本牧リトルシニアのグラウンドを借りて練習をしているという。乙坂が中学生のときに所属していた全国的に名を馳せる横浜の強豪チームだ。オフはここ以外に出身校である横浜高校のグラウンドや、DeNA時代からお世話になっている関西のトレーニング施設で練習を積んできた。
生まれも育ちも横浜。乙坂はDeNAにいたときから「横浜の街を盛り上げたい」と事あるごとに言っていたが、それほどここ横浜に愛着を持っている。
「景色や雰囲気もいいけど、一番は人がいいんですよね。野球選手としてプレーをしていて、ものすごく皆さんの愛情を感じていましたし、本当、恩恵を受けてきたというか。だから昔から野球だけではなく、いろんな形で横浜の街の力になりたいなって」
柔和な表情を見せる乙坂だが、どこか寂しさが漂っているようにも感じられた。今シーズンからは愛着のあった横浜スタジアムでその雄姿をファンに見せることはできない。
球団からの戦力外通告、受け入れるまでの数分間で
球団から連絡が来たのは昨年の10月3日だった。関係者に電話口で「明日、球団事務所に来てくれ」と言われたとき、乙坂はすべてを察した。
「ずっと横浜で野球をやってきたわけですけど、もう来年からこの土地で野球ができないんだって理解しました」
通告を受け入れるまでの数分間、乙坂の脳裏にはいろいろな思いや忘れられない場面が浮かんでは消え、また浮かんでは消えた。