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ガーナで宣教師をしていたトンガの青年が日本ラグビーで覚醒中! “秘密兵器”オペティ・ヘルが悩む「代表ジャージー」への質問
 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byNobuhiko Otomo

posted2022/02/18 11:01

ガーナで宣教師をしていたトンガの青年が日本ラグビーで覚醒中! “秘密兵器”オペティ・ヘルが悩む「代表ジャージー」への質問<Number Web> photograph by Nobuhiko Otomo

抜群の存在感を放つクボタスピアーズ船橋・東京ベイのPRオペティ・ヘル。右は日本代表で、同じトンガ生まれのヘルウヴェ。同じ姓だが親戚ではないという

 才能はすぐに開花した。

 高校2年でオーストラリア高校代表に選ばれ、ニュージーランド高校代表と対戦。将来はオーストラリア代表を担う才能と期待され、オーストラリア国内はもとよりニュージーランドやヨーロッパのクラブからもオファーが届いた。

「トンガとは全く違う、オーガナイズされた環境でトレーニングできて、体を強くすることができた。でも、プロになることは考えなかった。自分がプロのラグビー選手になれるなんて思っていなかったし、高校を卒業したらラグビーをやめることは決めてました」

 それはオペティのライフプランだった。オペティの家族は敬虔なクリスチャンで、本人曰く「生まれたときから」教会に通っていて、男子は18歳になったら宣教師として布教活動を行うのが当然だと思っていた。18歳になったオペティは迷うことなくトンガへ帰国し、教会で研修を受け、宣教師志願の申請書を提出した。

 当初、任地と聞かされたのは南アフリカのダーバンだったが、「ビザが上手くいかなくて」キャンセル。改めて任命されたのは同じアフリカ大陸ながら、西アフリカの熱帯に位置するガーナ共和国だった。

「2年間、ラグビーはもちろん、スポーツも一切やらず、教会の仕事のお手伝いをしていました。トレーニングも何も。ガーナは坂道が多いので、そこを上り下りして汗をかいてたくらいですかね」

「またラグビーをやるなんて」

 2年間の任期を終えてトンガに帰国したのが2019年。「ラグビーはもちろんスポーツは一切していなかった」というオペティの体は、アスリートのものではなくなっていた。

「またラグビーをやるなんて、まったく考えていなかったし、日本でプレーするなんて夢にも思わなかった」

 そんなオペティに「トライアウトを受けてみないか」と声をかけたのが、今はスピアーズのチームメートのトゥパ フィナウだった。トゥパはオペティの義兄(姉の夫)で、ホンダとキヤノンを経てクボタ(スピアーズ)でプレーしていた。

「トゥパが『日本でやってみないか?』と言ってくれて、スイッチが入りました。日本は素晴らしい国で、素晴らしい環境でラグビーができる。プロの選手になれたら家族を助けることができる。ガーナでの布教活動を経験して、家族を大切にすることは人生を充実させる、人をハッピーにできると多くの人に伝えてきたし、それを自分自身も実践できたら素晴らしいと思った」

【次ページ】 「ずっと秘密兵器と呼んでいた」

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