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「オレはプロレスになる。力道山の弟子になる」現役最年長レスラー・グレート小鹿(79)が師匠から授かった「最初で最後の褒め言葉」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/02/13 11:00
4月28日に80歳の誕生日を迎える現役最年長レスラーのグレート小鹿。ジャイアント馬場やアントニオ猪木と同じく、力道山の弟子としても知られている
「17のあんちゃんが1人で東京に行くんだから、我は張れない。青函連絡船の千代の山の個室には2段ベッドが2つあって、メロンとかバナナとか入った果物籠が5つもある。好きなだけ食えって言われて、4時間半でバナナを20本以上全部食っちゃったよ」
青森ついたら「ここに座れ、動くなよ」と言われて席に座った。しばらくしたら、千代の山が駅弁を10個も買ってきた。
「周りは千代の山だ、千代の山だ、って騒ぐんだ。でも、初めて食べたけど、駅弁はうまいもんじゃなかったね。1つ食べて、あとは周りの人にあげたよ。川口のおじさんには上野に着く時間を電報で知らせていたんだけど、すっかり忘れちゃった」
上野駅には3人ほど部屋から迎えが来ていた。千代の山が事情を話すと、小鹿はタクシーに乗せられて出羽海部屋に連れていかれた。
「運命はわからない。どっかの変な人に連れていかれたら、そっちに行っていただろうね」
後の横綱にして名物解説者・北の富士との邂逅
「今NHKで大相撲の解説をやっている北の富士勝昭さんがまだ三段目くらいで、浴衣着て稽古場の上がり座敷に腹ばいで本を読んでいた。当時は『香車』(まっすぐ前にしか進めない将棋の駒)とか呼ばれていたけど、『泥着あるか』って言われて、浴衣を出してくれた」
北の富士は小鹿にこう言った。
「おお、似合うじゃないか」
裏庭に行きバリカンで坊主にされて、「新弟子一丁あがり」だった。
そのころの出羽海部屋は120人の大所帯。千代の山(九重親方)に出羽ノ花(武蔵川親方)、常ノ花(出羽海親方)と3人の親方がいた。
あまりに人が多すぎたから、小鹿は「相撲は2年くらいでやめよう」と思っていた。しかし「3年いたら退職金がもらえるから、もう1年だけいろ」と親方から言われた。稽古もしなくてもいいから、と。3年続けた相撲は序二段でやめて、退職金として2万円をもらった。
「川口の叔父さんにヨソに行ってこいと言われて、武蔵小金井に丁稚奉公に出された。『いらっしゃいませ、安いですよ』とかそれまで言ったことがないこと言ってね。でも3カ月もいたら面白くなった。自分で店をやりたくなった」
小鹿は商売に興味を持った。
「その店に、競輪選手の奥さんが今でいうパートに来ていた。たしかヒジカタっていうA級2班くらいの選手だった。そこで『強くなったら、儲かりますよ』って聞いてね」
小鹿は競輪選手になろうと思い立ち、本気で魚屋の太いタイヤの自転車をこいで練習した。
「でもね、競輪選手の養成所に受かったら保証金が半年間の合宿で30万円いるんですよ。月6000円の給料じゃあ夢のような金額。店にいたほかの3人に、『競輪選手になるから10万円ずつ貸してくれ』って言ったら横向かれたよ(笑)」