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「あいつを殺さなかったら、自分が殺される」ブル中野の告白…アジャコングとの死闘が“プロレスファンの色眼鏡”を壊した日《WWE殿堂入り》
posted2024/03/13 11:03
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
世界最大のプロレス団体WWEが3月6日、日本が誇るプロレス界の“女帝”ブル中野が、名誉殿堂「WWEホール・オブ・フェーム」入りすることを発表した。
日本人レスラーのWWE殿堂入りは、アントニオ猪木、藤波辰爾、獣神サンダー・ライガー、グレート・ムタ(武藤敬司)に続く史上5人目(この他、レガシー部門に力道山、ヒロ・マツダ、新間寿・元WWF会長がいる)。日本人女子レスラーとしては初となる快挙だ。
ブル中野は、全日本女子プロレス(全女)のトップの証だったWWWA世界シングル王座に長く君臨。その後、メキシコのCMLL世界女子王座、さらにWWF(現WWE)世界女子王座と、女子プロレスの世界3大王座を制覇した、文字通り世界トップのレスラー。
しかし、ブル中野の真の功績はそういった目に見えるタイトルとは別のところにある。女子プロレス自体の地位を向上させ、女子プロレスの観られ方やあり方までも変えた、革命者であった。
ファンからも“差別”されていた女子プロレス
女子プロレス界は「ブル中野以前と以後」に分けることができる。それまで日本における女子プロレスは、70年代末のビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)と、80年代半ばのクラッシュ・ギャルズ(ライオネス飛鳥&長与千種)の人気で2度にわたり大ブームを巻き起こしたことがあったが、いずれもファン層は女子中高生が中心。“プロレス版・宝塚”とも言うべき人気であり、歌を中心とした芸能活動が目立っていたため、男性プロレスファンの多くは「女子プロは別物」という考え方が一般的で、「一緒にしてほしくない」とさえ思われていた。同じプロレスでありながら、プロレスファンからも女子プロレスは“差別”されていた歴史があるのだ。
そういった女子プロレスへの偏見を取り除き、うるさ型の男性プロレスファンにも認めさせるということは、クラッシュ・ギャルズ時代の長与千種も切望していながら1度目の引退までに成し遂げることはできなかったが、それを実現したのが、90年代初頭のブル中野を頂点とした時代の全日本女子プロレスだった。
しかし、それを実現する過程は生やさしいものではなかった。ブル中野は当時をこう振り返る。