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接触→失速のレース後、菜那は妹・美帆を全力で…初五輪はともに惨敗、高木姉妹が“本命1500m”で競演するまで「ライバルでもある。良い距離感」 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2022/02/08 12:10

接触→失速のレース後、菜那は妹・美帆を全力で…初五輪はともに惨敗、高木姉妹が“本命1500m”で競演するまで「ライバルでもある。良い距離感」<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

Sスケート1500mで銀メダルを獲得した髙木美帆(左)と、8位入賞の菜那(右)

頼れる存在であり、ライバル…美帆「良い距離感」

 その後、美帆は2018年平昌五輪で五輪代表に返り咲いて1500mの銀メダルを獲得したが、ソチ五輪以降に膝痛に苦しんでいた菜那は、平昌五輪の代表選考会で1500mの出場権を得ることができていなかった。最初の五輪でそれぞれ苦い思いを味わった2人が、それぞれ最も得意とする1500mを五輪でともに滑ったのは、実は今回の北京五輪が初だったのだ。

 美帆は姉について、「(2015年に)ナショナルチームが始まってから一緒に練習してきた。悩みがあれば相談するし、頼れるところは頼る。でも、同時にライバルでもある。良い距離感だと思っている」と語っている。

 “良い距離感”とは、“自在な距離感”でもある。それが如実に出たのが、昨年末に長野エムウェーブで行われた北京五輪代表選考会だ。菜那が最終日の1500mで最後の1枠をつかみ取った滑りは、美帆の胸を熱くさせた。

選考会で見せた2人の“抱擁”

 美帆は菜那のレースの直後に自分のレースを控えており、本来ならば自分のレースに集中しているところだったが、「今回に限っては、姉がどういうレースをして、どういうタイムを出すかが、自分のレースをするのと同じくらい大事だった」と、特別な思いで見ていたのだ。

 会場には北海道から両親が観戦に来ていた。新型コロナウイルス禍によって日本から北京五輪の観戦に出かけることがかなわないと分かっていた中、幼いころから大切に育ててくれた両親に、姉妹そろって五輪で滑る姿をテレビで見せたいとの思いがあった。今季を「集大成」と位置づけている菜那にとっては、場合によっては国内最後の試合となる可能性もあった。さまざまな思いを秘めてスタートラインについた代表選考会の1500m。菜那は気迫のこもった滑りで、1500mの最後の1枠を争う形となった小平奈緒を上回り、北京五輪切符を手にした。美帆は飛び跳ねるように大喜びしていた。

「1500mでは、今までのオリンピックで自分の納得のいくようなレースができていない。北京では自分が納得できるような滑りをして、自分が今出せる最高の滑りをして表彰台を目指したい」

 菜那はそう話し、強い意気込みを示した。

【次ページ】 接触→再レースの可能性も「もう脚が残っていなかった」

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