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接触→失速のレース後、菜那は妹・美帆を全力で…初五輪はともに惨敗、高木姉妹が“本命1500m”で競演するまで「ライバルでもある。良い距離感」

posted2022/02/08 12:10

 
接触→失速のレース後、菜那は妹・美帆を全力で…初五輪はともに惨敗、高木姉妹が“本命1500m”で競演するまで「ライバルでもある。良い距離感」<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

Sスケート1500mで銀メダルを獲得した髙木美帆(左)と、8位入賞の菜那(右)

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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Asami Enomoto/JMPA

 2月6日に行われた北京五輪スピードスケート女子1500m。五輪のこの種目で初めて妹の高木美帆と同時に出場した平昌五輪2冠の高木菜那(日本電産サンキョー)は、悔しさのあふれる自身のレース後、妹を全力で応援していた。

「妹に金メダルを獲ってほしかった」

 第10組で滑ってから約20分後。菜那はリンクの内側にいた。氷上で滑走するのは最終15組の美帆。第12組で滑ったイレイン・ブスト(オランダ)が1分53秒28のオリンピックレコードを出して首位に立っており、そのタイムを上回るべく前半から積極的に飛ばした美帆は、最後まで力を振り絞って滑った。菜那も必死に声援を送った。

 けれども、わずかに届かなかった。1分53秒72。祈るように大スクリーンを見ていたが、美帆が2位であることが分かった瞬間、ガクッと体を崩し、落胆した。

「やっぱりこの種目では妹に金メダルを獲ってほしかったという気持ちがあった。妹が一番悔しいと思う」

 テレビのインタビューで美帆を気遣いながらそう言った。

妹・美帆の初五輪、菜那も会場で応援

 29歳の菜那と27歳の美帆。2歳差の姉妹にとって今回はともに3度目の五輪だが、最初の2大会は一緒の出場ではなかった。

 先に五輪出場を果たしたのは妹の美帆。まだ中学3年生だった2010年にバンクーバー五輪に出た。だが、世界の壁は厚く、1000mは完走した選手の中では最下位の35位。最も得意な1500mでも23位だった。

 菜那は当時、高校2年生だった。美帆を応援するため家族でバンクーバーへ行き、五輪の雰囲気を会場で体感した。翌2011年春、高校を卒業した菜那は日本電産サンキョーに入社。社会人になって3シーズン目に2014年ソチ五輪の舞台を踏んだ。だが、菜那も最初の五輪では世界の壁に跳ね返された。チームパシュートではメダルにあと一歩手が届かず4位。得意の1500mでは32位と、勝負にならず、涙を流した。

【次ページ】 頼れる存在であり、ライバル…美帆「良い距離感」

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