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「ソチでは一生思い出したくないほどのことが起きて…」浅田真央が明かす、その直後に『ノクターン』で世界新記録を出せた理由
text by
浅田真央Mao Asada
photograph byMiki Fukano
posted2022/02/16 11:02
バンクーバー、ソチの五輪2大会に出場した浅田真央さん
私はこの年を最後のシーズンと決めていました
私自身も様々な経験を経ていたので、20代の私をそのまま出せればいいなと思っていました。比べると全然違いますよね。いろいろな表現ができるようになっていたので、重みのある『ノクターン』になったと思います。
このシーズンはソチオリンピックがありました。私はこの年を最後のシーズンと決めていました。そう考えなければ乗り切れないほど辛かったんです。ソチでは一生思い出したくないほどのことが起き、同じ失敗は二度としたくないと思って臨んだ世界選手権でした。
そこで滑った『ノクターン』で世界新記録を出すことができたんです。あれは本当に満足しています。これまで完璧と言える演技は数回しかないんですが、そのうちのひとつです。日本開催でしたし、いろいろなことが噛み合って、私のスケート人生の中で一番だったと言えます。
アナウンサーさんが「ショパンの音色をついにその手で掴み取りました」と言ったそうですが、確かにそんな感じがしましたね。ソチのときは音色とともに滑るなんてできなかったんですが、このときは音楽とともに本当に体が自然に動いたので、あれこそがナチュラルな滑りだったと思います。
ショパンは自分に合っているのかなと思います
'07-'08年のフリー『幻想即興曲』は世界選手権で初めて優勝したときのプログラムですし、ショパンは自分に合っているのかなと思います。10代後半、『月の光』(ドビュッシー)なども含めてクラシックを滑ることが多かったのは、ローリーが私の得意な部分を見てのことだったと思います。
私はジャンプだけでなく、スケートの細かい技術も得意でした。「真央だったら滑りで音楽を表現できる」ということでクラシックを勧めていたんだと思います。逆にバレエやオペラなど物語があるものはまだ表現できないと思っていたのでしょう。