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18歳ネイマールの天才性とトラブルメーカーぶり 「PKキッカーを取り上げられて監督に罵声」事件とは〈30歳に〉 

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byGetty Images

posted2022/02/05 06:00

18歳ネイマールの天才性とトラブルメーカーぶり 「PKキッカーを取り上げられて監督に罵声」事件とは〈30歳に〉<Number Web> photograph by Getty Images

18歳時のネイマール。2010年のブラジル全国リーグでは31試合に出場し17得点を挙げる。翌年には南米年間最優秀選手賞にも選出された

「彼は悪い意味でのモンスターになる」

 W杯終了後の7月、セレソンの新監督に指名されたマノ・メネゼスは、8月のアメリカ代表との強化試合にネイマールを初招集した。先発出場すると、左からのクロスを頭で決めていきなり代表初得点。メネゼスは当時をこう振り返る。

「彼の潜在能力は素晴らしかった。初招集したときから、セレソンの未来を担うと確信していた。アメリカ戦でいきなり先発させたが、まだ18歳というのに全く物怖じせずに伸び伸びとプレーしていて、スケールの大きさを感じた」

 誰もが、セレソンの新たなエースの出現を予感した。ところが、9月、ネイマールは重大なトラブルを起こす。ブラジル全国リーグのアトレチコ・ゴイアニエンセ戦で、自分が取ったPKを蹴ろうとしたが、チームのPKキッカーは決まっていた。監督から「蹴るのはお前じゃない」と伝えられると、激高して監督を罵ったのである。

 この行為は大問題となり、対戦相手の監督からも「このままでは、彼は(悪い意味での)モンスターになる」と痛烈に批判された。さらに、ネイマールへの処罰内容をめぐってサントスの監督がクラブの会長と対立し、解任される騒動となった。代表監督のメネゼスも、これを無視することはできなかった。

ヨーロッパに渡って以降、数々のトラブルが

「クラブでも出場停止処分などの処罰を受けたが、私も彼に自分の非をよく反省してもらいたいと考え、10月の強化試合(2連戦)への招集を見送った。彼自身もこのことで、いろいろ考えたと思う。11月に再び招集した時には、顔つき、態度、言動が以前とは少し変わっていた」

 トラブルと一連の処罰は、18歳のネイマールに教訓を与えた。以後の数年間、トラブルとはほぼ無縁だった。

 '10年7月にはチェルシーが2000万ユーロ(約22億円)の獲得オファーを出したが、サントスはこれを拒否。これを皮切りに欧州ビッグクラブからのオファーは引きも切らず、その動向は世界中のサッカー関係者から注目されるようになった。

 そして、3年後の'13年5月、21歳で満を持してバルセロナへ移籍する。その後、'17年にパリ・サンジェルマンに移籍すると、試合後に相手チームのファンを小突いたり、移籍を志願して練習開始にわざと遅れたり、婦女暴行容疑で訴えられたりと公私両面でトラブルが頻発している。

 18歳のネイマールは、その後、世界トップレベルの選手となるうえで極めて重要な1年間を過ごした。その一方で現在、彼が直面している数々のトラブルの種が芽生えた時期だったとも考えていいだろう。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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