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“森保ジャパン批判されがち問題”を三都主が語る「セレソンも無敗でW杯出場なのに…」「要求が大きいのは期待の裏返し」

posted2022/02/01 06:01

 
“森保ジャパン批判されがち問題”を三都主が語る「セレソンも無敗でW杯出場なのに…」「要求が大きいのは期待の裏返し」<Number Web> photograph by Sports Graphic Number/JMPA

日本代表時代の三都主アレサンドロ。その重圧を知るからこそ、現代表にエールを送る

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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W杯最終予選など森保ジャパンの戦いぶりについて、ブラジルで育成に携わる元日本代表・三都主アレサンドロに忖度なく解説してもらった(前編、サウジ戦編も)

 日本代表の2022年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選は、残り3試合。2月1日、埼玉スタジアムにグループ首位のサウジアラビアを迎撃し、勝てば首位と勝ち点1差の2位を確保できる。しかし、引き分け以下でオーストラリアがアウェーでオマーンを下したら3位に転落する。

 そして、3月24日にアウェーでオーストラリアと激突。サウジアラビアとオーストラリアに連勝すればグループ2位以内とW杯出場が確定するが、もし連敗すれば2位以内が絶望的となる。3月29日のホームでのベトナム戦は当然勝つとしても、今後の直接のライバルとの2試合が死活的に重要だ。

 そんな決戦を前に、三都主アレサンドロに話を聞いた。

 16歳で明徳義塾高校(高知)へ留学し、高校卒業後、清水エスパルスに入団。当時はアタッカーで、1999年、史上最年少の22歳でJリーグMVPに輝いた。1999-2000年のアジアカップウイナーズカップ(現在のアジアチャンピオンズリーグ)で清水エスパルスを優勝に導き、大会MVPに選ばれた。

 2001年に日本国籍を取得し、2002年から2006年まで日本代表で活躍。5年間だけだったが、歴代15位の82試合に出場して7得点をあげた(ちなみに、14位は三浦知良の89試合。77試合の中田英寿、74試合の内田篤人を上回る)。

 ドイツW杯予選など、日本代表時代にアジア強豪と対戦した記憶や、現代表への期待などについて聞いた。

サウジは攻守両面で中国とは比べものにならないが

――2002年W杯は自国開催だったのでアジア予選はなかったのですが、あなたは2004年アジアカップ、2006年W杯予選、2006年W杯、2007年アジアカップ予選などでアジアとの戦いを経験し、サウジアラビア、オーストラリアとも対戦しています。クラブレベルでも、両国の強豪と鎬を削っています。2月1日に日本が対戦するサウジアラビアのイメージは?

「2006年9月、2007年アジアカップ予選でアウェーで対戦した(注:結果は0-1の敗戦)。技術レベルが高く、ドリブル、ワンツーパスなどで果敢に突破を図ってくる。ただ、守備ではあまりハードワークせず、特に強いとは感じなかった。でも、今のチームは守備が格段に強化されている。攻守両面で、1月27日に対戦した中国とは比べものにならない。ただ、このホーム2連戦で日本が中国、サウジアラビアの順に対戦できるのはラッキーだ」

――オーストラリアのイメージは?

「体が大きく、バワフル。守備が強く、90分間、ハードワークをする。攻撃では、パワープレーが脅威だった」

――2006年W杯のグループステージ初戦で対戦し、痛恨の逆転負けを喫した。

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