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周囲の声「そんなマイナーな競技を担当して大丈夫か」 箱根駅伝の初代実況者・小川光明が明かす“第1回放送”までの知られざる舞台裏 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byAFLO(左)

posted2022/01/25 17:00

周囲の声「そんなマイナーな競技を担当して大丈夫か」 箱根駅伝の初代実況者・小川光明が明かす“第1回放送”までの知られざる舞台裏<Number Web> photograph by AFLO(左)

(左)1987年、初めてテレビ中継が行われた箱根駅伝の様子、(右)箱根初代実況者を務め、インタビューに応じた小川光明さん

箱根実況の裏側「取材の情報が“1枚のシート”にまとめられて…」

 陸上担当のアナウンサーにも背中を押され、小川さんはメインの実況を引き受けることにした。ただし、不勉強なまま大役に臨むわけにはいかない。それから過去62回の大会の歴史を調べ上げ、コース近辺にある名所などを次々頭に入れていった。情報を集めるために、各大学のグラウンドにも足を運んだ。

「当時はまだ出場校が15校で、アナウンサーも15名が各大学担当に振り分けられました。各自がそれぞれ受け持ちの大学を決めて、選手や監督に話を聞きに行くんです。私はセンターですからあちこちを回りましたよ。日大が千葉の館山で合宿中と聞けば館山に行き、中央大の練習を見るために八王子へ。日体大は横浜の先と、いろんな場所へ出かけましたね。ただ、11月、12月というのは寒いんですよ。練習している選手も大変ですが、我々もずっと外で練習を見ているわけですから寒い。練習中はしばらく声もかけられませんし、話を聞くのは学生たちが宿舎に帰ってから。そこで熱いお茶など出されると嬉しくてね。

 当時、順天堂大に強面の監督がいたんです。そう、澤木(啓祐)さん(笑)。見当違いな質問をすると、目をそらして答えてもくれない。それがある日、監督自らお茶を入れてくれて、話を聞かせてくれた。あれはよく覚えてますね」

 そうして集められた監督のコメントや選手の情報は一枚のシートに子細にまとめられ、中継所や移動中継車に乗り込むアナウンサー全員で共有された。日本テレビ本社内のスタジオに陣取る小川さんには優秀なサブアナがつき、実況に必要な情報が随時、彼女からもたらされたという。

「今みたいにスマホがない時代でしたから、すべて事前に準備しておかなければいけない。加藤明美さんというんだけど、彼女は本当によく調べてくれてね。本番中も助けられました」

《続く》

#2に続く
「5区で電波が繋がるか…」箱根駅伝の初代実況者が語る真実「技術者たちはテントで冷えた弁当暮らし。それでも文句を言わなかった」

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