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「ほぼほぼ引退で固まっていた…」スノーボード・竹内智香38歳が2年半の休養を経て、6度目の五輪に挑む理由

posted2022/01/23 06:00

 
「ほぼほぼ引退で固まっていた…」スノーボード・竹内智香38歳が2年半の休養を経て、6度目の五輪に挑む理由<Number Web> photograph by AFLO

1983年生まれの竹内智香。同じくスノーボード・アルペン代表の三木つばさとは20もの年齢の差がある

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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 1月19日、全日本スキー連盟は北京へと派遣する五輪代表選手55名を発表した。

 その中に、際立つキャリアの選手の名前があった。スノーボード・アルペンの代表に選ばれた竹内智香だ。北京で6大会連続の出場は、冬季日本女子では史上最多である。最初に出場した2002年のソルトレイクシティ五輪。そこから20年間、常に競技に寄り添っていたわけではないが、長年第一線で戦ってきた。

 2014年ソチ五輪のパラレル・ジャイアントスラロームで、4度目の出場にして待望のメダルとなる銀メダルを獲得。雪上に笑顔が弾けた。

 それから4年後の2018年、平昌五輪のパラレル・ジャイアントスラロームでは5位入賞だった。メダルには届かなかったが、そのあとも笑顔を見せた。

「5回目のオリンピックを楽しむことができましたし、みんなに観に来てもらえて、幸せなひとときでした」

 帰国後にはこう語った。

「オリンピックの5位は奇跡的です」

 実はソチでメダルを手にしてからの4年間は、苦しい時間が長く続いた。その理由は膝の前十字靭帯損傷という競技人生に影響を及ぼす大怪我を負ったためだ。長期間、実戦の場から離れざるを得なくなり、ようやく復帰しても成績は上がらなかった。

 さらに大会直前になっても調子は落ちたまま。その中で迎えたオリンピックだったから、5位は「奇跡的」であった。

離れて気づいた競技への思い

 ただ、満足したわけでもうれしかったわけでもなかった。ソチ後の大怪我とその影響に苦しんだ4年間、大会前の調子を考えれば、5位は上出来だと捉えることはできる。でも、競技を続けようと思った上で本来の目的としていた金メダルからはほど遠いところで終わった。

 テレビの取材では、平昌後の時期を振り返りながらこう語っている。

「終わったあとは、楽しい思い出よりも苦しい思い出のほうがよみがえってくるときが多くて」

 進退については明確にしないまま、月日が流れた。そして2020年8月、竹内はある決断を下す。それは競技への復帰だった。

【次ページ】 6度目の五輪で目指すもの

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