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ぶら野球BACK NUMBER
ゲーム会社社員「(野村監督では)暗すぎて売れません」ノムさんと真逆キャラ…90年代ヤクルト古田敦也は“捕手のイメージ”を変えた
posted2022/01/22 11:00
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
ゲーム会社社員「暗すぎて売れません」
「えっ? 古田が監修の日本野球機構公認ゲーム?」
先日、秋葉原のブックオフでスーパーファミコンの中古ソフトを見つけた。『古田敦也のシミュレーションプロ野球2』だ。あぁ……そう言えばあった、本人が選手データを監修したのがウリで、オープニング映像にオリックス時代のイチローが出てきて……と記憶が甦る。パッケージはイラストの古田にプレー中のマスク姿写真の古田ともちろん怒濤の背番号27推し。凄い、今の球界の捕手でこんな個人名を冠したゲームを出せる選手はひとりもいないだろう。発売日は1996(平成8)年8月24日。95年にヤクルトは日本一になり、古田はオフに当時の人気アナウンサー中井美穂と結婚。97年にも日本一を勝ち取り、ペナントと日本シリーズのダブルMVPに加えて正力松太郎賞に輝くので、まさに30代を迎えたキャッチャー古田の全盛期に世に出た野球シミュレーションゲームだ。
販売元は、あの伝説のファミコンゲーム『燃えろ!!プロ野球』の開発者・関雅行が設立した株式会社ヘクト。ゲーム雑誌「CONTINUE」vol.14に「『燃えプロ』を創った男」というインタビューが掲載されているが、当初はツバメ軍団を率いる野村克也監督に監修してほしかったという。だが社員から「暗すぎて売れません」と指摘され、その教え子の古田に白羽の矢が立つ。ID野球の申し子は意外に乗り気でゲームをキャンプ地に持参し、アリゾナのユマからFAXで意見を送ってくるほどだった。
90年代の若手時代の古田は大げさではなく、捕手のイメージそのものを変える存在だった。師匠のノムさんとは真逆の明るいキャラクターにのび太君風のメガネ姿とスリムな体型。92年に連載開始されたあだち充の人気漫画『H2』で主人公の国見比呂とバッテリーを組む野田敦は、メガネをかけたキャッチャーである。昭和の名捕手が野村克也なら、平成を象徴する捕手は古田敦也だと思う。
トヨタ自動車時代は、88年ソウル五輪で野茂英雄らとバッテリーを組み銀メダル獲得。89年ドラフト2位でヤクルトに指名されると、翌90年はいきなり106試合に出場、2年目には打率・340でセ初の捕手での首位打者に。翌92年には30本塁打を放ち、チームの14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。日本一に輝く93年の盗塁阻止率.644(企図数45、盗塁刺29)という驚異の日本記録は今も破られていない。その後も、背番号27は90年代のヤクルト黄金期をど真ん中で支え続けた。
「(野球は)将棋のように先を読むものではないです」
ちなみに古田はゲームだけでなく将棋好きとしても有名で、チーム内のヤクルト名人戦を制覇。99年3月のスカイパーフェクTV『囲碁・将棋チャンネル』では、清水市代女流四冠とお好み対局(二枚落ち)が行われた。将棋と配球の読みの共通点を聞かれ、臆することなくこう答える。