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勝ったのはアントニオ猪木だけ? 梶原一騎『タイガーマスク』実在レスラー登場シーンを再検証、“最後の相手”ドリー本人が驚く結末 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph byMoritsuna Kimura/AFLO

posted2022/01/21 11:00

勝ったのはアントニオ猪木だけ? 梶原一騎『タイガーマスク』実在レスラー登場シーンを再検証、“最後の相手”ドリー本人が驚く結末<Number Web> photograph by Moritsuna Kimura/AFLO

1981年4月23日、初代タイガーマスクの“衝撃のデビュー戦”vs.D・キッド。漫画・アニメで人気を博したヒーローが現実のリングに上がった

 そんなテリーの兄である、ドリー・ファンクJr.こそが、漫画版におけるタイガーの最後の相手。いわばラスボスだった。タイガーの漫画連載中(昭和43年2月~昭和46年12月)、アニメ放送期間(昭和44年10月~昭和46年9月)にNWA世界ヘビー級王者として世界プロレス界の頂点に君臨していたのが他ならぬドリーだった。

 劇中、タイガーは東京と大阪でドリーの世界王座に連続挑戦が決定。東京体育館での第1戦はドリーをコブラツイストで追い込むも、ピンチのドリーが沖識名レフェリーを故意に殴り、反則負け裁定により王座移動はなし。続く第2戦は大阪府立体育会館で行われる予定だったが、タイガーこと伊達直人は会場に向かう途中、自転車で転んだ子どもを助けてダンプカーにはね飛ばされて死亡。「中の人」の交通事故死により、タイガーは会場入りせず敵前逃亡扱い。ドリーが不戦勝で王座防衛を果たしている。

 筆者は7年前に来日したドリー本人にコミックを手渡し、これらの物語を知っているのか? と、確かめてみたことがある。

 全日本プロレス参戦時代に、2代目タイガーマスク(三沢光晴)とも接点のあるドリーは「タイガーマスクは知っているよ。とても有名なプロレスコミックなんだろう?」と、その存在は知っていた。しばし単行本に目を通し、ファンク一家登場の場面を目にするや「父のファンク・シニアは確かに厳しい人だったよ」「この小さい子どもがテリーなのか?」と笑顔に。

 だがしかし、自分がタイガー最後の対戦相手だとはまったく知らなかった。そして「ラストファイトの相手が私だったとは光栄なことだね。オキ・シキナのこともよく憶えているよ。私が彼を殴ってしまったのか? それは大変申し訳ないことをした(笑)」としばし反省。タイガーが大阪で交通事故死してしまう衝撃の結末に関しては完全に目が点になっていた次第……。

【次ページ】 3団体に突入する前に描かれた『タイガーマスク』

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