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スターダム新王者・朱里が語った“亡き母への感謝”とチャンピオンの覚悟「プロレスも究めたと言っていいのかな」《戴冠記念グラビア》
posted2022/01/21 17:03
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Takuya Sugiyama
キャリア14年目で初めて頂点のベルトを掴んだ時、頭に浮かんだのは母の顔だった。
12月29日のスターダム両国国技館大会は、団体として8年8カ月ぶりの開催だった。前回は“グラレスラー”愛川ゆず季の引退興行というスペシャルなシチュエーション。今回はブシロード傘下で団体としてのスケールを大きくしての“両国進出”だった。
そのメインで“赤いベルト”ワールド・オブ・スターダムのチャンピオンになったのは朱里。長期政権を築いていた林下詩美を下しての戴冠だ。スターダムの頂点は女子プロレスの頂点と言っていい。そのベルトを巻く姿を、誰よりも母に見てもらいたかった。
天国の母に見てほしかった「頂点に立つ姿」
中学1年生の時に両親が離婚。それ以来、朱里はフィリピン人の母ルーシーさんと暮らしてきた。
「外国で子供を産んで、1人で育てるなんて私には絶対できない。尊敬しているし、母のような芯の強い女性になりたいとずっと思ってきました」
そんな母を「何度も泣かせてしまった」と朱里は言う。役者になりたくて家出したこともあるし、プロレスラーになった時も心配された。それでも、大事な試合には応援に来てくれた。
最愛の母が亡くなったのは2020年9月のこと。直後の10月、朱里は岩谷麻優が持っていた赤いベルトに挑戦し、敗れた。さまざまな団体を経て、フリー契約でスターダムに参戦していた朱里は、この敗北を機にスターダム入団を果たす。覚悟を持ってこのベルトに専念しなければ獲ることができないと考えたのだ。
それだけ、女子プロレス界の頂点に立つ姿を天国の母に見てほしかった。レスラーデビュー後、朱里は立ち技格闘技イベントKrushと総合格闘技のパンクラスでベルトを巻き、世界最大の格闘技大会UFCにも参戦している。キャリアの中でクロースアップされるのは格闘技で残した実績で、だからこそプロレスラーとして世間に伝わる結果がほしかった。自分はプロレスラーなんだという意識が強かった。