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「大会期間中だけは自主練習をやめてくれ」小嶺忠敏が明かす“三浦淳寛の伝説”となぜ「個」が育つのか 《国見で6度選手権制覇の名将》

2025/01/13
小嶺忠敏が厳しくも愛情のこもった指導で育てた“個性的プレーヤー”は数知れない
国見を6度の優勝に導いた74歳の名将は、今年度も選手権の舞台で指揮を執った。小嶺サッカーの代名詞は、走力と体力。それでありながら、なぜ「個」が育つのか。厳しさと愛情に溢れた指導哲学に迫る。(原題:[国見を率いた名将を訪ねて] 小嶺忠敏の流儀)

 2002年の春休み。国見高校サッカー部一同を乗せたバスは、強豪校を集めて開かれる大会に参加するため、岐阜県大垣市に向かっていた。2カ月前に2年生で選手権優勝を経験した渡邉大剛は、はりきっていた。新チームの主将に指名されたからだ。その反面、ちょっとだけ調子に乗っていたのかもしれない。彼の首には、銀色のネックレスがぶら下がっていた。

 恋愛禁止。

 国見サッカー部“鉄の掟”をすり抜けて付き合っていた、同級生の彼女からもらったプレゼントだった。

 春の柔らかな日差しのせいだろうか。バスを降りた渡邉の首元が、きらりと光った。コーチはそれを見逃さず、激怒。すぐさま監督の小嶺忠敏へ報告された。

「そんなものしているなら、もう長崎に帰れ! キャプテンも剥奪や!」

 指揮官の怒号が響く。渡邉もそれに負けない大きな声で、反省の言葉を口にした。根は真面目な少年だ。毎日提出するサッカーノートは、誰よりもびっしり、丁寧に書かれていた。小嶺もそれを知っている。

「わかった。じゃあ残っていい。ただし、試合には出さん。走っとけ!」

“国見史上最も丁寧にノートを書く”少年

 グラウンドに着くと、ひたすら走った。ピッチの縦一面分をダッシュ、ダッシュ。国見の試合が始まれば、仲間のために水を汲み、ビデオで撮影する。試合が終われば、またダッシュ、ダッシュ、ダッシュ。

 小嶺やコーチ陣は、試合の準備をしているから、渡邉のことを見ていない。それでも“国見史上最も丁寧にノートを書く”少年は、一切手を抜かず黙々と走り続けた。

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photograph by Takuya Sugiyama

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