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フジテレビ三宅正治アナが語り尽くす“春高バレー”の魅力「メグカナの出現は奇跡」「実況の言葉は99%の準備から生まれる」
posted2022/01/04 11:02
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Ichisei Hiramatsu
今や、冬の風物詩に定着した春高バレーだが、競技の新たな魅力を引き出したのが、1990年代後半から試合中継の実況を担当してきたフジテレビ三宅正治アナウンサー(59)だ。日本代表戦とは違う高校スポーツを扱う難しさや醍醐味、また思い出に残る歴代選手たちのエピソードなどと共に、スポーツ実況の極意に迫った。
――バレーボール、春高と関わることになったきっかけを教えてください。
三宅 私が実況を担当するようになったのは1995年3月開催の春高予選からです。きっかけとなったのは95年のW杯。大会を盛り上げるためにV6が結成され、実況スタイルも演出も全部変えることになりました。
アナウンサーもそれまでのオーソドックスなスタイルではなく、見ている人を釘づけにさせるような、いわゆる絶叫タイプのアナウンスをしてほしい、と3名のアナウンサーが抜擢されました。“絶叫アナ1号、2号、3号”のうち、私は3号でしたね(笑)。W杯日本代表戦の実況を見据え、知識も、経験も必要になる。だから当然、春高もやるだろう、という流れが始まりだったんです。
それまで競馬、F1、K-1、プロ野球などの実況経験はありましたが、基本的にバレーボールの知識がなかった人間です。大まかなルールはわかっていても、Aクイック、Bクイックの種類すらわかっていませんでした。茨城県大会や栃木県大会の実況を担当しながら勉強し、そして春高準々決勝の実況も任されることに。バレーボールを担当するアナウンサーにとって、全国大会の準々決勝の実況は大きなステータスの1つなんです。
それをいきなり担当するわけですから、とてつもない緊張感の中で実況したことだけは覚えています。本来はいろいろな選手の思いやチームの考え方、作戦面をわかったうえでお伝えしますが、当時は詳しいこともわからず、取材も足りなかった。打ちました、決まりました、と目に見えることしか言えないレベルだったのではないかと思います。
――高校生と日本代表。同じバレーボールとはいえ、実況をする上で違いはありましたか?
三宅 全く違います。極端に言えば、春高バレーのほうが難しい。なぜかと言うと、日本代表戦は「日本代表」という主人公が決まっているからです。でも春高バレーはどちらも主人公にしなくてはいけない。どちらか一方ではなく、両校の特徴や選手の思いをしっかり伝えなければなりません。
たとえば優勝候補筆頭の強いチームと、そこに少し及ばないチームの対戦があったとします。全国大会まで勝ち上がってきたこと自体、どちらも素晴らしいことなのですが、そこには必ず勝ち・負けがつく。勝利したチームの強さを伝えるだけでなく、たとえストレート負けだったとしても、敗れたチームが強豪にどうやって立ち向かっているか、そこを視聴者に届けないといけません。当然のことではありますが、それは口で言うほど簡単なことではないんです。
試合の流れはこちらが決められるものではないので、焦点を当てるチームを瞬時に判断し、3セットあるいは5セットの中で1つのストーリーをいかに完結させるか。「日本、頑張れ!」の代表戦よりもはるかに難しいです。アナウンサーにとっても考えなければならない要素がたくさんあるのが春高なんです。