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プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
「高校行ってないです。友達いないです。そんな私に目標ができた」“キモオタ”たちを魅了する悪の華・鹿島沙希の女子プロレス道
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2021/12/26 17:03
スターダムで活躍する鹿島沙希。女子プロレスに出会うまでは「何もない青春時代」を過ごしていたという
「島根に住んでいて、母と電車で移動したことすらなかったのに、その日にかぎって、なぜか鳥取まで一緒に行ったんですよね。実際に会場で見たら、もう完全に一目ぼれしました。特定の誰かではなくて、女子プロレスというジャンルそのものに。衝撃が走ったんですよ。『絶対に私もやりたい!』って。運命だったんでしょうね。高校行ってないです。友達いないです。そんな私に生まれて初めて、人生の目標というものができた」
プロレスをやりたいと言った娘に、母は反対しなかった。しかし「ええ、そっち? 見るんじゃなくて、自分でやりたいの?」と驚いていたという。
「おじいちゃん、おばあちゃんは危ないからと反対しました。それに、今まで習いごとをしても続かなかったから。『絶対、続かないで帰ってくるよ』と言われました」
確かに、同級生がやっているからと始めた習い事も続かなかった。それでも、鹿島はプロレスをやってみたかった。生まれて初めて、自分からやりたいと思ったのが女子プロレスだった。
「それだったら、やれるところまでやっておいで、って送りだしてくれました。プロレスはやりたかったけど、家族と離れるのはつらかったですね。家族が大好きで、ずっと一緒にいたから」
練習がハードすぎて体重が増えなかった若手時代
鹿島は島根県から身ひとつで上京。すぐにスターダムでの練習が始まった。
「初めての練習はやばかったですね。私は『初めてだから厳しいメニューを与えられているんだな』と思っていました。『ああ、これがプロレス界の厳しさか』なんて考えながら控室に帰ったら、『今日のメニュー超楽だったね』とみんなが話していたんです(笑)」
スターダムが当時使っていたシーザージムや新木場のリング、ゼロワン道場でハードな練習が続いた。40キロにも満たないもやしのような体を、本人は「糸みたいでした」と形容した。
「体力はないし、毎日ぶっ倒れていました。当時はすごい量の食事を食べさせられて、炭水化物の粉も飲んだりして……。でも、練習がハード過ぎて太れなかった(笑)。それでも、練習を続けていくと、最初は出来なかったメニューが楽にこなせるようになるんですよ」
スターダム2期生の鹿島は、2011年にデビューする。
「当時は立場も一番下、同期もいないし、毎日の練習に加えて雑用も全て1人。遠征の移動中も眠れないし、理不尽に怒鳴られる事もよくありました。みんなと同じようにサイン会に出ていただけなのに『何してんの?』って怒られたことがあって、その時は泣きながら1人でリング撤収しました(笑)」
毎日が必死だった。2年後の2013年、体調不良もあって一度プロレスを離れて島根に帰った。そんな鹿島がスターダムに戻ってきたのは、5年後の2018年3月だった。