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実働3年でケガ続きの戦力外、今も右ひじは曲がったままだが… 元ロッテ守護神が「育成でもプロを経験してほしい」と語るワケ 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2021/12/25 17:02

実働3年でケガ続きの戦力外、今も右ひじは曲がったままだが… 元ロッテ守護神が「育成でもプロを経験してほしい」と語るワケ<Number Web> photograph by Kou Hiroo

現在の荻野忠寛。プロの世界で戦った右ヒジは曲がったままだという

ひじ、ヘルニア、ひざの十字靱帯……ケガの連続

 3年目も一度もファームに落ちることなく投げたが、53試合に登板し3勝3敗9セーブ10ホールド、49.1回を投げて防御率3.65に終わった。

 ひじの状態は良くなかったが、翌年も一軍で開幕戦を迎えた。

「運のレベルだと思うんですが、たまたまオープン戦で無失点だったんです。でも球速は出ないし、小手先で投げていた感覚でした。で、開幕は一軍でしたが、ひじはもうかなり限界で、すぐにファームに落ちました。そして手術しました。遊離軟骨、いわゆるネズミを除去するクリーニング手術です。6月に手術して、3か月くらいリハビリすればと思ったんですが、可動域が小さいままでしたし、ひじはまだ痛かった。だからその年は全休で、シーズンが終わってまた手術をしました。今度は骨棘を削る手術です。

 さらに2011年にはヘルニアの手術をしました。2012年、13年と少しだけ一軍で投げてはいるんですが、2013年には肩にできたガングリオンの手術をして、さらに12月には膝の前十字靭帯を断裂したので手術をしました。

 実は投げられない期間に、めちゃくちゃトレーニングをしていました。投げられないならせめて他の部分だけでも鍛えようと思っていたんですが、すごく疲れた状態で無理をして体をひねってしまい、前十字靭帯を断裂してしまったんです。2014年は手術をしたばかりで、松葉杖でしたので、キャンプにも行っていません。そしてそのオフに戦力外になりました」

トライアウトでは最速130km台だったが

 こうして荻野忠寛の壮絶なプロ野球生活は8年で幕を下ろした。この間、手術は5回に及んだ。通算成績は178試合9勝11敗40セーブ、172.1回、防御率2.87。8年の在籍中、実働は5年、残りの3年間はリハビリに明け暮れた日々だった。

 荻野の右ヒジは今も曲がったままになっている。

 その後、荻野は乞われて古巣の日立製作所に投手として戻り、創部100年の2016年にはエースとして都市対抗野球準優勝に貢献した。

 このオフには「12球団合同トライアウト」に参加したものの、NPBに復帰することはできなかった。11月12日に甲子園で行われたこのトライアウトを見たが、3人の打者と対戦し、四球、左飛、中飛という結果。最速は138km/h。それでも抑制のきいた球を投じていた。

 荻野はプロ野球を去った後、右ひじ靱帯への負担をかけずに投げる投法を独自に編み出した。それもあって日立製作所に復帰してからエースとして大活躍することができたのだ。

【次ページ】 少年野球などで指導を行っている

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