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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「3人の天才は遠藤保仁と…」「ツネ、中澤、闘莉王は素晴らしいCB」 シジクレイ49歳の日本サッカー愛が熱い〈今何してる?〉
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2021/12/10 17:25
インタビュー取材に応じてくれたシジクレイ
「もちろんだ。日本のフットボールの動向は、可能な限りフォローしているからね」
――残りの2人は?
「(中村)俊輔と(小野)伸二。俊輔の左足から繰り出す魔法のようなFKやスルーパス、伸二のテクニックと創造性に満ちた美しいプレーは、世界トップクラスだったと思う」
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――DFとしては、誰が印象に残っていますか?
「クレバーで常に冷静沈着なツネ(宮本)、高さと強さを備えた中澤(佑二)と(田中マルクス)闘莉王は素晴らしいCBだった」
努力を重ねて一流になったと見ている2人は?
――あなた自身は、どんな選手だったと思いますか?
「私には際立った才能がなかったから、一人前のプロ選手になるため懸命に努力した。私と同じく努力を重ねて一流選手になったのが播戸(竜二/FW)、加地(亮/右SB)らだろうね」
――2009年末に母国へ戻ってから現役を引退するまでは?
「カスカヴェウCR、マルシリオ・ジアス(注:川崎フロンターレのCFレアンドロ・ダミアンが若手時代に在籍)、アギア・ネグラといった南部の中堅クラブでプレーした後、2012年5月10日、40歳になる3日前に現役を退いた。ちょうど20年間のキャリアだった」
――引退後に何をするか、現役時代から考えていたのですか?
「自分からフットボールを取ったら、何も残らない。指導者になりたいと思っていたので、そのための準備を始めた。サンパウロ州とリオ州で指導者講習を受けた」
長谷川さんから「力を貸してほしい」と
――そして、2013年から15年まで、古巣ガンバ大阪でコーチとして長谷川健太監督を支えました。その前年にJ2へ降格したチームの再建に携わり、2013年にJ2で優勝してJ1へ復帰。2014年、昇格1年目にしてナビスコカップ、Jリーグ、天皇杯の三冠を達成するという離れ業を成し遂げました。
「長谷川(健太)さんとはそれまで全く面識がなかったが、『攻守にバランスが取れたチームを作りたいので、力を貸してほしい』と言われた。
愛するガンバのために働けることは、とても光栄だった。守備を強化するために呼ばれたわけだから、CB、ボランチとしてプレーした経験のすべてを選手に伝えようとした。
チームは困難な状況に陥ったこともあったが、それを乗り越えて最高の結果が得られた。すべてのクラブ関係者、コーチングスタッフ、選手、ファンの思いが結実した夢のような1年間だった……」
第2回では、彼がブラジルへ戻ってからの現役最後の日々、指導者としてのこれまでの歩みと自身が目指すフットボール、そして日本のフットボールへの提言を聞いた。<後編に続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。