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〈米軍基地で試合も〉沖縄唯一のプロレス団体『琉球ドラゴンプロレス』って何? リングネームはグルクンマスク、首里ジョーなど

posted2021/12/03 17:02

 
〈米軍基地で試合も〉沖縄唯一のプロレス団体『琉球ドラゴンプロレス』って何? リングネームはグルクンマスク、首里ジョーなど<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

琉球ドラゴンプロレス代表のグルクンマスク(左)と、顔面蹴りを入れる女子選手のハイビスカスみぃ

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Norihiro Hashimoto

 全国各地にローカルヒーローがいてローカルアイドルがいるように、プロレスの世界にもローカルインディー団体と所属選手がいる。その先駆者は岩手県のみちのくプロレス。1992年旗揚げだから“地域密着スポーツ”としてJリーグ(93年開始)と同じくらいの歴史があるわけだ。

 専業のプロ選手もいるし、社会人として地元で働きながら試合をする選手も。数年前には、北海道は新根室プロレスの巨大パンダレスラー「アンドレザ・ジャイアントパンダ」が話題になった。

 東北、関西、九州ほか全国各地、さらには沖縄にも団体がある。その名も琉球ドラゴンプロレスリング。代表を務めるのは覆面レスラーのグルクンマスクだ。リングネームからして沖縄感満載だが、実は大阪出身(1971年生まれ)。シュートボクシングの名門、龍生塾で格闘技を学び、仕事をしながらプロレスラーに。転機は2010年、沖縄に移住したことだった。

「もともと沖縄が大好きで。40になるまでに移住したかったんですよ。老後に移住しても、あとはゆっくりするだけ。それよりも何か自分の可能性を試したかった」

沖縄にまいたプロレスの種を…

 もちろん沖縄でも仕事が必要だったし、プロレスをさらに突き詰めたいという思いもあった。大阪プロレスのスペル・デルフィンが設立した沖縄プロレスに入団。同団体の常設会場クローズとともに全選手が退団すると、2013年から琉球ドラゴンプロレス、略称琉ドラをスタートさせた。

「最初は団体をやるつもりじゃなかったんです。リングを買い取って、リングレンタル業をやろうかと。でも周りの人たちから“せっかく沖縄にプロレスの種をまいて、これから芽が出るところなのに”と言われたんですよ。それでちょっと頑張ってみようかと思いました」

 8年間の活動で多少は存在が知られてきた。だが根付いたとまで言えるかというと「まだまだです」とグルクンマスク。そもそも“プロレスファン”の層が薄かった。

「旗揚げ当初、知り合いにプロレスファンだという方を紹介してもらったんですが、僕のことは知らなかった(苦笑)。見てるのは新日本プロレスさんだけ。でも、確かにそういうものだなと。年に2回くらい会場に見に行ったらプロレスファンですよね。そこはちょっと、僕の感覚がバグってたのかもしれない」

「首里ジョー」「美ら海セイバー」個性的なリングネーム

 プロレス界にいると、どうしても感覚が“濃く”なっていく。プロレスファンというと専門誌を隅から隅まで熟読して当たり前、月に何度も生観戦し、レスラーにも顔を覚えられる。だがもちろん、そういう人ばかりがプロレスファンではないし、まして沖縄でそうした層をあてにするわけにはいかなかった。よく言われたのは「プロレス? 昔はよく見てたけどね」だ。

「沖縄の人たちはエンターテインメントに対する理解が非常に深いと思います。どこに行っても楽しんでもらえてますね。仕事よりも遊びを大事にするような気質があるんじゃないかなと。ただ新しいもの好きな一方で、外から来たものに対する警戒心もある。それにプロレスというと“テレビで見るもの”なんですよね。僕としては、そこを生で見る大衆娯楽にしていきたい」

【次ページ】 米兵の観客、基地内での試合も

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