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41歳松坂大輔が明かす“10年前、手術を決意した日”「イチローさんに怒られた…『バッピみたいな球投げてんじゃねーよ』って」
text by
吉井妙子Taeko Yoshii
photograph byKYODO
posted2021/11/30 11:05
10月19日の引退試合。5球を投げ、23年間の現役生活に別れを告げた
松坂 やっぱり早期発見、早期治療ですね。僕は小学生の時から野球をやってきて、多少痛くても我慢しながら練習するという世代。だから痛みにも強くなってしまった(笑)。そもそも休むと「誰かにポジションを奪われる」という意識があるから、多少のケガは隠して出場しちゃうんですよ。
裙本 え、松坂さんのような大エースでもですか?
松坂 もちろんです。エースであっても4番打者であっても、自分が休んでいる間に力を伸ばしてくる選手もいるでしょうし、やっぱりそのポジションは渡したくないと考えると、ぎりぎりまで我慢しちゃうんです。そしてピッチングの一連の動作で痛くない個所を探し、そしてフォームを変え、マウンドに立ってしまうんです。
僕は結構器用なのか、痛くない個所を探してピッチング動作に応用できちゃう。でも最後はもうどこを探しても、マウンドで使える筋肉や腱が見当たらなくなってしまったという感じですかね。
だから今考えると、あの時点で治療に専念していればと思うところはいっぱいありますよ。
裙本 例えばどのあたりですか?
松坂 まずは08年に肩を痛めたときですかね。オークランドの通路で滑って咄嗟に手摺に掴まった時に痛めたのですが、その時はまだ肩とか肘に何かをするというのがやっぱり怖かったんです。針を打つのさえ嫌だった。だから痛みを我慢して投げ続けた。
すると今度は股関節を痛め、股関節をカバーしていたら次は肘を痛めた。この頃はケガの治療というより、痛み止めの注射を打ってマウンドに立った。でも患部が治っているわけではないので、次々に故障の連鎖が起きてしまうんです。
イチローさんに怒られた「バッピみたいな球投げてんじゃねーよ」
裙本 それで11年に遂にトミー・ジョン手術を受けることになったのですか。
松坂 以前からピッチング後の肘の張りがパンパンで、その年もどこまで持つのかという不安はあったけど、開幕戦間もないころのボストンは寒いこともあり、ある試合でバチッと肘の腱が切れた音がしたんです。そしたらベースの2mぐらい前でボールが落ちてしまい、降板しました。
裙本 でもそうなる前に痛みはかなりあったんじゃないですか。