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「なんとしても力になりたい」大谷翔平が重度の心臓病と闘う“翔平ちゃん”を見舞いに行った理由 

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川崎静葉

川崎静葉Shizuha Kawasaki

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posted2021/11/24 11:00

「なんとしても力になりたい」大谷翔平が重度の心臓病と闘う“翔平ちゃん”を見舞いに行った理由<Number Web> photograph by KYODO

2019年1月、心臓移植手術を待つ川崎翔平ちゃん(中央)を励まそうと大阪府内の病院を訪れた大谷。面会の時間は1時間近くに及んだ

「自分の名前から名づけられたことは光栄です」

 なんと大谷選手が翔平のお見舞いに来てくれるというのです――。

◆◆◆

 静葉さんと太志さんがビデオメッセージを送った当時、大谷翔平選手は日本に滞在していた。

 18年、大谷選手はアメリカでシーズン1年目をむかえた。メジャーリーグでは、ベーブ・ルース以来100年ぶりの本格的二刀流選手として注目され、初出場前から球団グッズの売り上げも急上昇。4月には3試合連続でホームランを打ったが、1年目4月の3連続ホームランは、メジャーリーグ史上でも4人目の快挙だった。

 そんな“大谷フィーバー”を巻き起こしながらも、6月に右ひじ靭帯の損傷が判明。シーズン終了直後に靭帯の修復手術を受け、11月下旬に日本へ帰国していたのだ。

 復帰をかけてリハビリに励んでいた大谷選手だったが、翔平ちゃんのことを知り、こう語ったという。

「(翔平ちゃんが)自分の名前から名づけられたことは光栄です。縁があるのでなんとしても力になりたいです」

名前の由来は“牛若丸”と平泉から

 大谷選手は岩手県奥州市出身。世界遺産に登録されている源義経ゆかりの地・平泉のすぐそばだ。大谷選手の父・徹さんはスポーツ誌のインタビューで、名前の由来について明かしている。

《本当は義経と命名したかったのですが恐れ多くて、義経の幼名・牛若丸のように身のこなし軽やかになって欲しくて“翔”、そして平泉の“平”を貰いました》(『Number』’15年9月24日号)

 大谷選手自身も自分の名前に両親の深い愛情が込められていたことは知っていた。それだけに大谷選手は自分と同じ名前を持つ赤ちゃんに親しみを感じ、重病の我が子を救おうと懸命になっている静葉さんと太志さんのことを見過ごすことはできなかったのだろう。

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 19年1月5日、この日は私たち家族にとって“歴史的な1日”となりました。

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大谷翔平
ロサンゼルス・エンゼルス

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