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落合博満42歳「辞めさせたいんだろうが、オレは辞めないよ」「私と清原くんで長嶋さんの悩む顔を…」巨人・日ハムで残した《衝撃発言集》 

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posted2021/11/22 17:02

落合博満42歳「辞めさせたいんだろうが、オレは辞めないよ」「私と清原くんで長嶋さんの悩む顔を…」巨人・日ハムで残した《衝撃発言集》<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

巨人時代の落合博満。40代ながら圧倒的なバッティングセンスを見せた

 この言葉通り、94年には40歳ながら巨人軍・第60代4番打者として君臨(背番号も60だった)。6死球を浴びるなど相手バッテリーの厳しい攻めにあい、成績こそ打率.280、15本塁打68打点にとどまった。ただし要所での勝負強さは相変わらずで、《勝った方が優勝》という伝説の「10.8決戦」では今中から先制ホームランを放ち勝利に導き、チームも日本一へと上り詰めた。

 巨人はその後、FAで広沢克己、清原和博、江藤智、小笠原道大、村田修一、丸佳浩、梶谷隆幸らを獲得してきた。優勝するためには球界トップクラスの選手を獲るというFA戦略は、落合が原点だったのは間違いない。

遅刻した松井秀喜に対して怒るわけでなく……

<名言2>
とにかくこの世界、バットを振りぬくことだ。練習をしたやつには絶対に勝てないんだ。
(落合博満/Number751号 2010年4月1日発売)

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◇解説◇
 巨人から見て、落合獲得が生んだ効果は「球界の盟主としての復権」とともに「松井秀喜の育成」にもあったとも言われている。

 94~96年の巨人は3番・松井、4番・落合という並びがベースだった。その中で落合は松井に対して自らの打撃・野球論を滔々と語っていたそうだ。

 そんな落合と松井の「初対面」は、93年12月のこと。FAで巨人に移籍が決まった落合と、プロ入り1年目の松井との対談が報知新聞紙上で実現したのだ。

 しかし……若き日の松井と言えば、“遅刻癖”があったとはよく語られるところ。取材日、よりにもよって大事な対談会場に大遅刻してしまったという。

 だが落合はそんな松井に、特に怒ってもいなかった。むしろ淡々と野球の話をしたのだという。

「オレは練習が嫌いだとは言うけど、練習をしなかったとはひとことも言ってない」
「スイングスピードは確かに速いけど、振っているところが違う。打球はダイヤモンドの90度の中に入れなければならないのに、その外で振っている」

 こういった的確な指摘が、ゴジラ覚醒を導いたのだろう。

巨人フロントと落合の間に亀裂が入った日

<名言3>
ジャイアンツがクビだと言ったら、オレは(他チームの)どこででもやる。オレを辞めさせたいんだろうが、オレは辞めないよ。
(落合博満/NumberWeb 2020年12月25日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846417

◇解説◇
 落合が巨人で恐るべき打撃センスを発揮したのは、95、96年だった。41歳にして首位打者争いを繰り広げ(最終打率は.311)、通算2000本安打も達成。なお名球会入りを辞退しているのも落合らしいのだが……。

【次ページ】 43歳目前で“鈴木誠也、村上級”だったにもかかわらず

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