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落合博満42歳「辞めさせたいんだろうが、オレは辞めないよ」「私と清原くんで長嶋さんの悩む顔を…」巨人・日ハムで残した《衝撃発言集》
posted2021/11/22 17:02
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Keiji Ishikawa
<名言1>
オレが因(もと)で長嶋さん辞めさすわけにいかないじゃない。
(落合博満/Number333号 1994年2月3日発売)
◇解説◇
落合は91年に2シーズン連続となるホームラン王に輝き、オフには年俸が3億円の大台に到達した。中日は1991年のシーズン限りで星野仙一監督が退任。高木守道監督がチームを引き継いだ。
そんな中で迎えた92年、落合は5月に腰痛で万全のコンディションが整わず、登録抹消される時期も。チームも攻守ともに停滞し、チームは12年ぶりの最下位転落。落合も打率.292、22本塁打71打点にとどまった。翌93年は山本昌広、今中慎二の最多勝コンビで2位に入り、39歳シーズンの落合は両リーグ200本塁打を達成したものの、打率.285、17本塁打65打点だった。
不惑を迎え、落合の野球人生もいよいよ終盤か……野球ファンがそんな風に考えているオフに、落合は大きな決断を下す。93年オフから導入されたフリーエージェント(FA)制度を行使し、球界の盟主・巨人へと加入したのだ。
「オレが成績悪かったらオレがクビになるだけ」
この加入劇には、長嶋茂雄監督の《三顧の礼》があったというのは有名な話だ。当時の巨人は広島、そして野村克也監督率いるヤクルトの後塵を拝して、91~93年と3年連続で優勝を逃していた。長嶋体制1年目となった93年はチーム打率で12球団最下位に沈み、打線のテコ入れが必須だった。そこで長嶋のラブコールに応える形で、落合は「GIANTS」のユニフォームに袖を通すことになった。
落合に期待されるミッションは、長嶋巨人に優勝をもたらすこと。日本全国からの注目、そして勝利への重圧がのしかかるのは必至ながら、やはり落合は飄々としていた。シーズン開幕前のインタビューで「長嶋さんを辞めさすわけにいかない」と決意を口にするとともに、このように話している。
「オレは自分の野球をやるだけだ。オレが成績悪かったらオレがクビになるだけ」
「だからクビにしないよう、させないように成績残すしかないじゃない、違う? そういうふうに言ったはずだよ、オレは」