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“父は東宝会長、母は宝塚スター”松岡修造54歳に 熱すぎる男が現役時代にこぼした弱音「このまま死んでしまいたい」
posted2021/11/06 11:05
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
AFLO
私事だが、初めてウィンブルドンの取材に行かせてもらったのは1995年だった。今ではテレビや街中で顔を見ない日はないほどの売れっ子タレントになった松岡修造が、ベスト8進出を果たしたあのウィンブルドンだ。日本男子のグランドスラムでのベスト8入りは62年ぶりの快挙。プロ10年目、それまでグランドスラムの2回戦を突破したことのなかった27歳が、20回目のグランドスラム本戦でついに手にした大きな成果だった。
ウィンブルドンを驚かせた“修造の深いお辞儀”
3連覇を狙うピート・サンプラスとの準々決勝がセンターコートでなく1番コートだったのは残念だったが、「ウィンブルドンのこんな大きなコートで試合をすることを、ずっと夢見ていた」と話した松岡は、サンプラスよりはるかに多いサービスエースを放ち、第1セットをタイブレークで奪った。しかし、結果はそこから3-6、4-6、2-6という逆転負け。
サンプラスと握手をしたあとコートの四方へ向かって頭を下げ、退場するときにくるりとコートに向き直り、再び一礼をした。目の肥えたウィンブルドンのファンにとっても、そんな行為、そんな光景を見るのは初めてだっただろう。スタンディング・オベーションには新鮮な驚きが混じっていた。
「一番はお客さんへの感謝の思いでした。ずっとプレーしたかったウィンブルドンの芝でベスト8に入ることができて、また100位の壁を破れた。ここからまたトップの選手たちに挑戦できるチャンスを作ってくれたウィンブルドンに、ありがとうございましたという気持ちだった」
お辞儀の意味を、あとで松岡はそのように語った。
特別な時間を、より特別なものにしたのは、その光景を見つめるたくさんの視線の中に両親の瞳があったことではなかっただろうか。
父は東宝会長、母は元宝塚の男役スター
松岡の両親といえば、父は当時東宝の取締役会長で、母は元宝塚歌劇団の男役スター。さらに遡れば、旧阪急グループの創立者である小林一三を曽祖父とする華麗なる一族の〈次男坊〉が修造だった。