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《手記》“日本一嫌われた審判”家本政明が綴る半生 ゼロックス杯の悲劇「僕は評価と規則の奴隷」だった
text by
家本政明Masaaki Iemoto
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/11/02 11:02
2008年、シーズンの幕開けとなるゼロックス杯の主審を務めた家本氏。退場者3名を出す判定に批判の声が相次いだ
「ゼロックス杯の悲劇」以降、評価の奴隷から解放され、選手と向き合えるようになっていたものの、まだ「判定力の高い審判が良い審判」「危機察知力の高い審判が良い審判」「危機管理力の高い審判が良い審判」という意識が強く、サッカーの本質には全く向き合えていませんでした。それだけでなく、選手の能力を引き出して試合の競技力を高める、観戦者の満足度を高めるレフェリングにもまだ十分に意識が向いていませんでした。
とはいえ、大きな改善を図ったことで、徐々にではあるものの少しずつ成果がではじめました。国内では、天皇杯決勝(11年)やナビスコカップ決勝(現ルヴァンカップ・12年、15年)、J1昇格プレーオフ決勝(15年)の主審、海外では2010年に聖地ウェンブリーでイングランドvs.メキシコ戦の主審(日本人初)、翌11年にはFA杯(イングランド人以外初)の主審と、本当にありがたいチャンスを数多くいただけるようになりました。
しかし、サッカーの神様は僕に、「おい、調子に乗るなよ。お前はまだサッカーを全然わかっていない」として、新たな試練を与えました。
それが2016年の「Jリーグチャンピオンシップ決勝第1戦」です。
(つづく)
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