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《手記》“日本一嫌われた審判”家本政明が綴る半生 ゼロックス杯の悲劇「僕は評価と規則の奴隷」だった
text by
家本政明Masaaki Iemoto
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/11/02 11:02
2008年、シーズンの幕開けとなるゼロックス杯の主審を務めた家本氏。退場者3名を出す判定に批判の声が相次いだ
【第2章 奴隷からの脱却/2008年~15年】
2005年にプロになってからの3年間、自業自得とはいえ、僕は迷走に迷走を重ね、自分が何をやりたいのか、なんのためにやっているのか、どうすればいいのか、全くわからなくなっていました。無期限の活動停止という決定には “絶望感” しかありませんでしたし、鳴り止まない脅迫電話や手紙の恐怖に怯える日々を過ごしていました。
「消えたい。日本からいなくなりたい。もうやめよう……」
日に日に憔悴していく僕を救ってくれたのが、師匠である夏嶋隆先生と妻でした。
夏嶋先生は、サッカー界に限らず多くのアスリートがこぞって頼る、スポーツ界では知る人ぞ知る「ゴッドハンド」。動作解析のプロフェッショナルです。僕がプロになった05年、知人の付き添いで治療とトレーニングに行った時にはじめてお会いしました。その時に「自分も身体のことは専門学校で学んだし、これまで色んな人を見てきたけど、こんなにすごい人は初めて! この人から学びたい!」と感動して、それ以来、頻繁に会いに行くようになりました。
そして、翌06年に弟子入りを懇願したところ認められ、居を神奈川から静岡に移して、毎日教えを乞うていました。無期限活動停止後も、師匠の診療所とトレーニング施設のお手伝いは続けていたのですが、無気力な僕に対して師匠はいつも、「有名人になってよかったな」とか「何があってもオレがお前の面倒をみてやるから大丈夫だぞ」とか、「お前は何も悪くない。現に海外での評価は高いんだろ? 日本が追いついてないだけや」と、とにかくあの手この手を使って、心が崩壊しないようにいつも温かく、大きな心で包んでくれていました。
一方、妻も(当時はまだ婚約者で、ゼロックス杯の試合のときは会場にいて、その全てを見ていました)僕に生気がなくても、心ここにあらずでも何も言わず、いつもニコニコと明るく、優しく、温かく接してくれていました。一度気持ちが完全に崩壊した時があったのですが、そのときは「あなたがしたいようにしてね。私は何があってもあなたの味方だし、ただあなたを支えていくだけだから」と言って、一晩中優しく抱きしめてくれました。
そんな2人の温かく深い愛情によって、僕は徐々に人間に戻ることができました。あのとき、この2人がそばにいてくれなかったら、今こうして審判を続けていることは絶対にありません。
ゼロックス杯を振り返って見えたこと
2人のおかげで徐々に生気を取り戻した僕は、いろいろなものに落ち着いて向き合えるようになりました。「ゼロックス杯の悲劇」とも冷静に向き合いました。その結果、3つのことが見えてきました。
まずは、単純に技術的に未熟だったこと。次に「プロ審判とはこうあるべきだ」と勝手に思い込んで、本来の審判の役割や目的を見失っていたこと。そして、クビになるのが怖くて、評価ばかり気にして、選手とサッカーに向き合っていなかったことです。
「これを変えない限り、永遠に失態を繰り返す」
そう思った僕は、自分の良いところは何か、ダメなところはどこで、どう改善するのか、プロの試合はアマの試合と何がどう違うのか……といった無数の問いを立てて、徹底して自己改革に励みました。
そして、古典や歴史書、学問書、偉人の本などを読んで、物事の考え方、捉え方、価値観を見つめ直す、原理原則を歴史や先人から学ぶ、自分だけでなく相手のことや全体のことも考えるなど、様々なことを学びました。
それから、スキルを高めるためにトレーニングも根本的に変えました。以前は見た目も大事だと思って、筋トレをガンガンやって身体を大きくしていたのですが、“見た目の力強さ”を捨て、動きやすさ、シャープさといった効率性や機能性を高めるトレーニングに変えました。
あとは、武道とかクラシックバレエを学んでトレーニングに取り入れたり、バイクトレに没頭したり、身体の扱い方を研究したりと、それまでのサッカー界にはないトレーニングを独自で研究して、取り入れていきました。
この「それまでの自分を否定し、新しくつくり変える」という作業は、本当に苦行でした。ですが、夏嶋先生と妻、そして僕を支えてくれた多くの仲間のおかげで、なんとか「新たな家本政明」を創りあげることができました。