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《ドーハの悲劇から28年》背番号10・ラモス瑠偉が告白した歴史的ドロー“衝撃の真相”「野良犬みたいな俺をオフトは見捨てなかった」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJIJI PRESS
posted2021/10/28 06:00
1993年10月28日。のちに「ドーハの悲劇」と呼ばれる歴史的試合に挑むラモス瑠偉ら(日本-イラク)
ラモスの解釈「『ドーハの悲劇』は神様が与えた試練」
時に声を荒げるように、時にささやくように。熱を持って語るラモスの記憶そのものが、「ドーハ物語」の魅力に聞こえてくる。彼の言葉の一つひとつが、心にズシリと響く。
もしアメリカW杯出場を決めても、ラモス自身、本大会に行く気がなかったという話は有名だ。あらためて聞き直してみた。すると、「オフトをW杯に連れていくことが俺の役目だったんだから」とだけ言った。
彼はその後の言葉を続けなかった。ドーハですべてを出し切りたかったという思いは理解できる。しかしそればかりではなかったようにも感じられてならない。
後日談がある。
日本に戻ったラモスは、日本サッカーの黎明期をともに引っ張ってきたライバルの木村和司にもわざわざ「W杯に行けなくてすまんかった」と詫びている。オフトジャパンに呼ばれてもいない木村は何故、ラモスが詫びるのか不思議そうな顔をしていたという。
ラモスが心のうちを明かす。
「俺の勝手な予想だけど、W杯に行ったらオフトは和司を連れていくんじゃないかと思ったんだ、なんとなくね。だから、すまんと」
木村のように日本サッカーを支えてきた人間に大舞台を踏んでもらいたいと願っていたのかもしれない。あくまで木村の代表復帰は彼の妄想でしかないものの、ラモスは自分が抜けた後の日本代表のことまで考えていた。それがラモス瑠偉という男である。
彼は先月、ビーチサッカーの日本代表を率いてW杯に臨み、ベスト8まで勝ち進んだ。今も、日の丸への思いは変わらない。
「ドーハの悲劇」は神様が与えた試練だと、敬虔なクリスチャンは解釈している。
「あのときはまだ神様が俺たちにW杯に行くなって言っていたんだよ。あれから日本はW杯に出られるようになった。だから無駄じゃなかった。ドーハでの戦いで、俺に悔いなんてないよ」
窓の外に何気なく目をやった。遠くを見つめるその眼差しは、優しかった。