競馬PRESSBACK NUMBER
「欠点は人間の言葉を喋れないことぐらいだ」デムーロと“運命の馬”ネオユニヴァースの信頼関係はこうして生まれた
posted2021/11/06 11:03
text by
並木ポラオPorao Namiki
photograph by
フォトチェスナット
ゼロ年代前半、短期免許で来日していたM.デムーロ騎手。その活躍は広く知られるが、デムーロ騎手は日本競馬で史上初となる「外国人騎手による日本ダービー制覇」をした騎手でもある。イタリア人ジョッキーの運命を変えた1頭の馬、ネオユニヴァース。そのダービーでの走りに、ファンは魅了された。
競馬を愛する執筆者たちが、ゼロ年代前半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負2000-2004』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)から一部を抜粋して紹介する。〈クロフネ編、ハルウララ編に続く〉。
◆◆◆
ネオユニヴァースという馬を思い出すとき、多くのファンはミルコ・デムーロ騎手を思い浮かべるのではないだろうか。彼やクリストフ・ルメール騎手が毎週のようにレースに騎乗していることに何の違和感もないが、ネオユニヴァースで大レースを勝った当時のデムーロ騎手は「短期免許で来日中の」という枕詞がついて回っていた。
“短期免許で来日中”なぜデムーロ騎手?
ネオユニヴァースは、2戦目こそ池添謙一騎手が騎乗したものの、デビュー戦からコンビを組む福永祐一騎手が主戦騎手だった。ところが同じ瀬戸口勉廐舎には朝日杯フューチュリティSを勝利した2歳王者のエイシンチャンプも所属していて、福永騎手は両方の馬に騎乗していたため、一方の馬を選ばなければならない状況となった。どちらの馬にも将来性を感じていたと思われるが、瀬戸口調教師とも相談をした結果、GⅠ競走の朝日杯フューチュリティSをすでに勝っていたエイシンチャンプを相棒に選び、この年のクラシック路線を歩むことを決めた。
一方のネオユニヴァースの鞍上は、この馬の生まれ故郷である社台ファームの代表吉田照哉氏の推薦もあり、イタリアからの短期免許で来日しているデムーロ騎手が選ばれ、スプリングSをステップに皐月賞を目指すことになった。
2番人気に推されたスプリングSを快勝し、きさらぎ賞から重賞2連勝。クラシック第一弾の皐月賞は堂々の1番人気での出走となった。最後の直線では前に馬がズラっと並び、自らの進路が確保できない場面も一瞬あったが、狭いスペースを見つけてそこから抜け出し、2着のサクラプレジデントとはアタマ差とはいえ見事にGⅠ初挑戦で初制覇となった。
日本ダービーに出られない?
続くダービーに向かうにあたり、大きな問題が立ちはだかった。当時のデムーロ騎手が日本で乗るのはあくまで一時的なことであり、彼の競馬の拠点は祖国イタリアにあった。当時はイタリアの廐舎と専属契約を結んでいたため、調教師の意向次第ではダービー当日に日本に居られない可能性もあったのだ。