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<単独インタビュー>「この夏は強く心に残ることばかり…」メッシが語ったアルゼンチン初タイトルの歓喜とPSG移籍の真相
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/10/25 11:00
『フランス・フットボール』誌のバロンドール特集の目玉記事として単独インタビューに応じたメッシ
「彼の訃報は自宅で聞いた。事実が公表される直前に、父が『ディエゴのことは知っているか?』というメールを送ってきた。何を言っているのかわからず、知らないと答えるとディエゴが亡くなったことを父は僕に伝えた。聞いた瞬間に心が麻痺してしまった。具合が良くないのは知っていたし、いつかこんな日が来るのはわかっていたが、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。悲しい知らせだった。その後は僕も(アルゼンチンで)何が起こっているかを詳しく知るために、できるだけ情報を集めた。つらい出来事だった」
――マルセロ・ロフェ(メッシが代表デビューを果たした当時のアルゼンチン代表監督であったホセ・ペケルマンのチームスタッフだったスポーツ心理学者)は、この優勝があなたの重荷を解き放ったと語りましたが、あなたもそう思いますか?
「長い間探し求めていたタイトルを獲得したのだから、ひとつの解放であったのは間違いない。誰にとってもそうで、僕も解放されたかったし誰もが解放されたがっていた。長くタイトル欠乏に喘いでいたアルゼンチン国民もアルゼンチンサッカー自体も、重荷が取り除かれるのを望んでいた(アルゼンチン代表が最後に国際タイトルを獲得したのは、1993年のコパアメリカ優勝まで遡る)。
勝てなくてずいぶん批判されたし、この世代がタイトルを獲れないのはちょっとおかしいという思いもあった。タイトルを獲って僕らの感じ方も変わった。より静かで穏やかな環境でサッカーに集中できるようになったんだ」
バルセロナとの離別
――涙と歓喜が交錯したこの時期が、あなたの人生で最も熱いときだったと言えますか?
「一番かどうかはわからないけど……、さまざまな相反する思いが去来したのは間違いない。もちろん代表で経験したことは嬉しかったけど、ちょっと違和感もあった。というのも直後に長年過ごした我が家のあるバルセロナを離れなければならなかったからだ」
――バルセロナに戻ってからのことはまったく予想外だったでしょう。予兆は何もなかったのですか?
「まったくなかった。監督(ロナルド・クーマン)が与えてくれた数日間の特別バカンスを過ごしてバルセロナに戻り、新しいシーズンに備えようとした。再契約にサインして、すぐに練習を開始するつもりだった。すべては整っていて、あとは僕がサインをするだけだと思っていた。
ところがいざバルセロナに戻ると、すべてがもう不可能であるという。僕はクラブに残れないし、新しいクラブを探さねばならない。バルサには僕の契約を延長できる財力がなかった。僕自身のプランも大きく狂った」 <続く>