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松坂大輔41歳、“栄光のち苦悩”での引退 「ヒジに謝りました。ここまでよく投げてきてくれたねって」と話した日
posted2021/10/19 18:10
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Koji Asakura
<名言1>
中4日が想像以上にボディーブローで効きました。
(松坂大輔/Number700号 2008年3月19日発売)
◇解説◇
松坂大輔の「栄光」について、野球ファンなら誰もが知っているはずである。
横浜高校での甲子園春夏連覇に始まり、高卒1年目からの3年連続最多勝とベストナイン、2006年と2009年のWBC連覇とMVP、所属した西武とレッドソックスでそれぞれ日本一と世界一を経験……これほどまでにチーム、個人ともに各カテゴリで頂点に立ったエースはいないだろう。
そんな松坂だが、メジャー移籍後は苦しみ続けた道のりだった。
2006年オフ、西武からポスティングでレッドソックスに移籍した松坂は、開幕から先発ローテーションを守り、32試合に登板し15勝12敗、防御率4.40という成績だった。
1年目としてはまずまずの成績ではあるが、シーズン終盤に明らかにダメージが来ていた。中4日というメジャーの短い登板間隔にアジャストできなかったことが原因だった。中6日に慣れた日本人投手がメジャーで成功するかどうかは、中4日に適応できるかどうかにかかっていると言っても過言ではない――。皮肉にもそれを野球ファンに知らしめたのは、松坂だったと言える。
トミー・ジョン手術決断後、キャッチボールしたワケ
<名言2>
ヒジに謝りました。ここまでよく投げてきてくれたねって……。
(松坂大輔/Number806号 2012年6月21日発売)
◇解説◇
WBC連覇以降、成績から見ての松坂のキャリアは下降線を描いていく。メジャー2年目の2008年の18勝3敗、防御率2.90から翌09年は4勝6敗、防御率5.76。2010年は9勝6敗、防御率4.69と少し持ち直したものの、この2シーズンは股関節や背中、首などに故障や違和感を抱えていた。
そして2011年、5月に右ひじにハリを感じた松坂は、6月にトミー・ジョン手術に踏み切ることを公表したのだった。