“Mr.ドラフト”の野球日記BACK NUMBER
《斎藤佑樹・引退》2006年夏甲子園から15年…現役選手は何人? 高卒も大卒も好選手揃いだった「1988年世代」のドラフト
text by
小関順二Junji Koseki
photograph byKYODO
posted2021/10/03 17:03
夏の高校野球に続き国体でも決勝で対戦した早実・斎藤佑樹と駒大苫小牧・田中将大
斎藤がドラフト1位で指名されたのは2010年のドラフトだ。この年に指名され、のちにチームの主力になる選手を、筆者が考える成功選手の基準《投手は50勝/1セーブ、1ホールドは0.5勝換算、300試合登板、野手は500安打、1000試合出場》に沿って紹介していこう。
この基準に到達しているのは福山博之(横浜6位/大)、美馬学(楽天2位/社)、中崎翔太(広島6位/高)、山田哲人(ヤクルト1位/高)、西川遥輝(日本ハム2位/高)、澤村拓一(巨人1位/大)、牧田和久(西武2位/社)、秋山翔吾(西武3位/大)、大野雄大(中日1位/大)、柳田悠岐(ソフトバンク2位/大)、千賀滉大(ソフトバンク育成4位/高)の11人。
こう見ると大学生組の頑張りも目立ち、高卒入団選手と同様に10年ドラフトで指名された1988年世代にも好選手が揃っている。
日ハムの「ナンバーワン」戦略
斎藤は、彼らと比べると確かに成功選手には数えられないが(通算88試合15勝26敗、防御率4.34)、その後のドラフト史に影響を与える存在でもあった。すでに一般にもよく知られているのが「投手、野手に関係なく、その年のナンバーワン選手を1位で指名する」という日本ハムのドラフト戦略だ。
翌11年は入団を拒否されたものの菅野智之(東海大)を1位入札。12年はメジャーリーグ入りを表明していた大谷翔平(花巻東高)を単独1位指名。14年は4球団競合した有原航平(早大)の、17年は7球団競合した清宮幸太郎(早実)の交渉権を獲得するなど、ドラフト巧者の名をほしいままにしていく。そのイメージをマスコミや野球ファンに植え付けた契機となったのが10年の斎藤だったのである。